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世界で音楽してた音楽人の中の人。数年前に喉頭(声帯)部分切除により完全失声しましたが食道発声はじめリハビリ努力により何とか日常会話が出来る位になり今は再び歌える様頑張ってます! カラオケ大好き!歌は魔法!DAM★ともで魔法をかけてましたが外の人の大人の事情でしばしカラオケ禁止に( ;∀;)。アメブロもたまに書いてます。

Joined November 2013
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どんな食べ方をしても美味しいと 個人でする分には満足できればそれでいい。 人それぞれ好みもあるし 美味しいものは美味しいし 美味しいかどうかで食べ方を とやかくいう話でもないし、 これはこうするものだと 決まりきった王道を押しつけ 相手の食べ方を否定したいわけでもない。 でもね…何が大事かっていうと そういうことなんだよね。 料理でもどこの世界でもね(vv)
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ありがとうございます。僕もこの手の問題の根底はだいたいは鑑賞者自身の先入観が大きく関わっていると思う。 ただもう少し正確に言えば、 「映像が何を描いたか」と 「鑑賞者がそこに何を補ったか」 が混同されているんですよね。🤔 そもそも映画やMVは、 すべてを説明するわけじゃありません。 例えば、誰かに頭を撫でられる場面の後に幼い頃の父親との記憶が挿入される。 映像編集では、こうした異なる場面をつなぐことで、直接説明しなくても感情的な関係性を生み出せます。 でも、そこで何が結びついているのか。 安心感なのか、愛情への渇望なのか、失われた記憶なのか。それとも現在と過去の愛情の違いなのか。似た仕草を重ねたからといって、二つの関係を同一視しているとは限らない。ここが映像表現の面白さでもあり難しさでもあります。 人間は、説明されていない部分に自分の経験や価値観を持ち込み物語を補完しようとします。これ自体は自然な認知の働きですし、優れた作品ほど鑑賞者に想像させる余白を残すこともある。 ただし問題はその先。 「私は性的搾取の暗示だと感じた」という解釈が、いつの間にか「制作者は性的搾取を肯定している」という断定に変わってしまう。この二つの間には、説明すべき論理があるんです。 音楽でも同じ。 歌詞の主語が省略されていれば、誰の気持ちなのか想像する。曖昧な言葉には、自分の経験を重ねる。でも想像したことがそのまま作者の意図になるわけじゃない。もちろん、反対に「制作者はそういうつもりじゃないから問題ない」という擁護も成立しません。演出が特定の偏見を強めて見えるなら、その表現自体を批評する価値はある。 僕が言いたいのは、そこなんです。 作品に描かれた事実、自分が読み取った意味、作者の意図、社会的な影響。この四つを分けずに論じれば、どんな作品でも自分の思い込みを正解にできてしまう。だから僕は鑑賞者が何を感じたかは尊重します。でもそれを根拠に制作者の思想や加害性まで断定するなら、具体的な説明を求めます。 「作品の余白を想像力で埋めるのは鑑賞。自分が埋めた余白を作者の罪として裁くならそれはもう一度検証が必要です。」 音楽も映像も答え合わせのためだけに存在しているわけじゃないんですからね😅。
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「自分の頭で考えた形跡がない、 AIみたいな血の通わない長文」…って ずいぶん便利な批評ですね。😅😅😅 この引用で相手の引用に感想をしっかり述べた後に返ってきたのがコレ😅 「私がゆやんさんや郡司さんのツイートを引用したのは、それを読んで考えて欲しかったからです。AIで出力したかのような、自分の頭で考えた形跡が全く見られない、血の通わない長文を読まされるためではありません。」 まずそもそも反対言えば、最近よく炎上するものもそうですがそういうコメントの多くはむしろ感情的に垂れ流してるだけのものが多い😅 自分の常識と呼ぶ固定概念に囚われ それを信じてやまない視野狭窄な人が 主観と飛躍した論理を元に絶対そうに違いないと断定して決めつける。 そこに僕も同じく感情的に反論してレスバで泥仕合をしてどうするんですか?ww😅周囲にはただの見苦しい感情論の言い争いに見える訳で😅 まぁ僕は喋り出したら止まらないので毎度長文になるのは自覚しておりますし、そこは大変恐縮であり、読んで下さった方には感謝しかありませんが、 最近多い「AIで出力したかのような自分の頭で考えた形跡が全く見られない血の通わない長文」ってココよね😅 読めと言われた引用元の内容ぎっしりな思いの丈を綴られた長文をしっかり読まさせていただいた上で、しっかり書いただけのことでありただ失礼なと感じた次第なんですが、他の部分でもたまによく言われる、言語化が上手いと AI生成みたいな文章について今回は思うところを。 文章の内容に反論する代わりに、AIが書いたように見えると言えば、その文章に込められた思考まで否定できるんでしょうか? まず、僕は彼が引用した論考を踏まえて、女性の商品化、映像表現、制作意図、社会的影響について、それぞれ論点を分けてお答えしてます。 例えば郡司さんの論考なら、夜職の華やかな描写が市場への参入を促すという懸念について、その可能性自体は認めたうえで実際の因果関係をどう検証するのかを問いかけました。「描写」「肯定」「助長」は違う。「不快感」「倫理的懸念」「実際の社会的影響」も違う。 それを一つひとつ区別して説明することが自分の頭で考えていない証拠になるの?😅 僕はむしろ感情に任せて自分の先入観や価値判断を事実に混ぜ込み、異なる前提や評価軸を一緒くたにした文章こそ、慎重に読む必要があると思いますけどね😅。 もちろん感情から始まる批評も大切です。ただその感情が強いことと、結論が正しいことは別。 僕は職業として評論を書いているわけじゃありません。誰かに頼まれた義務でも生活のためのライスワークでもない。 自分が感じ、考え、伝えたいことがあるから書いているってそれだけww。 そして僕が文章を長くするのには理由がある。 「この言葉だけなら こう誤解されるかも」 「ここを断定したら この反論が来るかも」 「ならこの例外と前提も 説明しておこう」 そうやって二手三手先の反応を想定しながら言葉を選び推敲し、時には後の話につながる伏線も置いて、石橋を渡るのに叩きすぎて、文章がどんどんどんどん長くなっていくw😅。 感情をむき出しにすることだけが血の通った文章じゃありません。 相手に誤解なく伝えたいからこそ感情を整理して言語化することもある。 それからそもそもAI生成についても一つ。 生成AIは大量の情報を整理し、反論を予測する文章を作ることもできるしそこは便利な技術。とはいえAIの文章が整っているからって人間の整った文章までAI製と判断できるわけじゃない。AIも人間も文章作れますが、AIは文章の表面的な文字テキストだけから、書き手の思考過程や内面を断定はできない。 そして何より僕が今この話をしたいという初期衝動は僕自身のもの。 またいつもの少し下品な例えになりますが、トイレに行きたくなった僕が、AIに代わりにトイレへ行ってもらったところで、僕自身はスッキリするの?って話🤣スッキリしたいのは僕ですよww。 音楽を作るときも、自分の言葉で語るときも同じ。誰かに代わりに表現してもらうのが目的じゃない。自分の中に生まれたものを自分なりに外へ出したいだけ。 もちろん、僕の文章にも間違いはあるし論理の欠陥があったらいくらでも指摘すりゃいいこと。 でも「AIみたい」という印象だけで僕の提示した論点への反証にはならない。「自分の頭で考えてない」とか言いたがる多くの人はむしろ相手の文章を読み解けてない読解力不足が多いので、 まず僕が何を考えて書いたのかその文章の中身に向き合ってほしいね😅 。 僕は相手の引用した論考を読んでそこにある主張を具体的に検討した。 ではあなたは僕の意見についてどの前提が間違いでどの因果関係が成立していないと考えているのか? 「自分で考えろ」と言いつつ自分と異なる考察を「AIみたい」の一言で片づける。それこそ思考を止めるには随分と便利な言葉だよね。😅🎸
えっと…せんじつのゆやんさんの引用もそうですが、 音楽歌唱談義の一部の相手方がyoutubeに動画外注してこれ見ればわかる的な言葉足らずな返事で、どうもいそろくさんの立ち位置がぼやけて良く見えないのでもう少し引用するにせよどこがあなた側の主張のポイントなのかご自身の言葉で返していただけると助かるのですが… 先の添付はゆやんさんのを読んで考えろと言ったから 相手の意見に尊重し世に発信し問われた命題に寄り添いつつ僕の感じたことを述べたまでで、僕の本論は大元の投稿通りなわけで…。 それはさておき とりあえずまた引用を読めとのことなので 紹介いただいた郡司真子さんの論考も 拝読することにしましょう。 ↓↓↓↓↓↓ 「夜職の美化が、性搾取市場を拡大する」 …ってそこまで主張するなら作品の解釈だけでなく、 因果関係も検証してみましょう。🤔 郡司真子さんの論考拝見しました。 まず、女性の商品化や搾取的な労働構造を問題視することには僕も異論はありません。そして「自己肯定を描いたから問題ない」「当事者に取材したから正しい」という擁護が不十分なのもそのとおりです。 ただ今回の議論にはもう一段厳密な整理が必要だと思います。 まず「キャバ嬢でなければ描けなかった理由がない」というご指摘。それを言い始めたら、ほとんどの物語は別の職業でも作れてしまいます。 創作で問うべきなのは、 他の設定では絶対に描けないかではなくて、 「なぜその設定を選び、作品の中でどう機能させたか」 でしょう。 シンデレラには「王子に選ばれる」という物語上の構図がある。 キャバクラには「指名」という他人から選ばれることが仕事の一部となる仕組みがある。 その世界で働く女性が最後には 他人からの評価ではなく自分自身の価値を問い直す。 「選ばれることを仕事にしていても、他人の評価だけで自分の価値は決まらない」。 僕はそこにこの職業を選んだ物語上の意味があると解釈しています。 そして郡司さんの論考では、華やかな描写によって若い女性のリスク認識が低下し、勧誘が容易になり、市場の需要と供給が拡大するという懸念が示されています。 これは社会的に検討すべき仮説でしょう。 しかし、華やかな描写がある→リスク認識が下がる→参入が増える→搾取市場が拡大する。 この一連の因果関係はどの段階も検証なしに確定できるものではありません。しかも今回のMVには、ドレスだけでなく、督促状のある生活、疲弊、孤独も描かれている。それらを含めた作品全体がなぜ夜職を魅力的な成功例として受け取られると判断できるのか。 そこを具体的に論じる必要があるでしょう。 もちろん、暗い描写が少し入っていれば美化にならないという意味ではありません。むしろ華やかさと苦痛のどちらが、どのような観客に、どれほど強く届くのか。 そこがメディア表象を論じる核心ではないでしょうか。 そして、もう一点。 キャバクラ、パパ活、売春、AVを、一つの「性の商品化」という概念だけでまとめるのは慎重であるべきです。構造的な共通点を論じることはできます。 でも、サービスの内容、法的な位置づけ、労働環境、リスクは同一ではありません。 搾取構造を正確に批判したいなら、まず異なる産業や行為の違いを正確に把握する必要があります。 父親の手と現在の男性の手を重ねた演出についても、不快に感じる方がいることは理解します。 ただ、映像で二つの仕草を重ねることは、二つの愛情を同一視する場合だけでなく、その違いを浮かび上がらせる場合もある。その演出が成功したかどうかは批評できますが、一つの解釈を唯一無二の意味として確定するのは違うでしょう。 そして、紅白のような公共性の高い場では、どんな作品をどう届けるかという判断も重要です。 でもそのMVが実際にどう放送され、何を引き起こすのかという問題まで、まだ起きていない段階で確定することはできません。 僕はジェンダー批評を否定しているわけではありません。女性の主体性が十分に描かれているか、男性視点による固定観念が入り込んでいないか、映像が望ましくない価値観を再生産していないか。どれも大切な問いです。 ただし倫理的な懸念と、 実際に社会的な加害が生じたという事実認定は別です。 そして、キャバクラという設定を別の職業に置き換えることができるというだけでは、今回の選択が誤りだったことにもなりません。 僕は別に熱烈なファンでもないし、作品を無条件に擁護はしません。でも批判の結論まで無条件に受け入れるつもりもありません。 「その作品が搾取を描いたのか。 搾取を肯定したのか。 それとも実際に搾取を助長したのか。」 この三つは区別して検証すべきです。 「社会への影響を考えろ」と言うのであれば、 まずその影響を、想像と事実に分けて考える。 それこそ、影響力の大きい作品を 「批評する側」にも求められる責任だと僕は思いますよ。🎸 #MrsGREENAPPLE #シンデレラ
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teapaw.org/i/grok/share/c2hhcmQtN… せっかくなので、普段ほとんど使い道のないGROK君に、実際投稿文章見てどう思うのか聞いてみたwww さすがAIだけあって 当たらずも遠からず無難な答えだなぁwww😅
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【推しを叩いたのは子供、賠償を約束したのは親。SNSの軽い悪口が家族を巻き込む時代🤔🤔🤔】 「スマホを持たせた親は 子供がネットで何を書いているか 知っていますか?」 10月28日、ホロライブを運営するカバー株式会社が、所属タレントの権利を侵害した人物との示談成立を発表しました。 驚くべきは、その投稿者が未成年だったことです。 所属タレントの個人情報について、事実ではない内容を真実のようにネットへ投稿。裁判所が権利侵害を認め、発信者情報開示請求によって投稿者が特定されました。そして今回、親権者が損害賠償金の支払いと今後の監督を約束する形で示談が成立したんです。 ①「子供の悪ふざけ」で済まない時代 SNSでは、軽い気持ちで他人を叩く人がいます。でも、書いた本人が冗談のつもりでも、傷つけられた相手にとっては冗談ではありません。未成年であることは、他人の権利を侵害していい理由にはならないんです。 ②「匿名だからバレない」は幻想 画面の向こうでは匿名でも、適法な手続きを経て投稿者が特定されることがあります。アカウント名を隠すことと、責任を負わずに済むことは別問題です。 ③「本当の話なら書いていい」も間違い 仮に情報が真実でも、本人が公開していない私生活や個人情報を勝手に広めれば、プライバシー侵害になり得ます。知っていることと、公表していいことは違います。 ④「リポストしただけ」は免罪符じゃない 誰かが流した噂を面白がって拡散する。本人は情報を紹介しただけのつもりでも、権利侵害に加担する場合があります。噂の発信者だけでなく、広める側にも責任が生じ得るんです。 ⑤ 親は子供のスマホをどこまで知っている? ここが僕は一番考えさせられます。親が子供のSNSを24時間監視するなんて現実的ではありません。でも、スマホを渡して使い方を教えず、何か起きてから初めて知る。それで十分なのかという問題です。 ⑥ 親が必ず賠償するわけではない 今回、親権者が支払いを約束したことと、法律上すべての親に賠償義務が生じることは違います。責任能力や監督上の問題など、個別の事情で判断される話です。だからこそ、今回の示談を単純な「親への連帯責任」と捉えるべきではありません。 ⑦ 批評と人格攻撃を混同するな 僕も音楽の批評はします。作品の構成や歌唱表現を論じることと、本人の私生活を勝手に暴いたり、根拠のない噂を流したりすることは、まったく違う。批評の自由は、人格を踏みにじる免許証ではありません。 ⑧ 推しを守る側にも同じ責任がある アンチが悪いからといって、ファンが相手を集団で攻撃していいわけではありません。正義感から始まった言葉でも、度を越せば新たな加害になります。 ⑨ 必要なのは恐怖だけでなく教育 賠償金の話だけで子供を脅しても、なぜいけないのかを理解できなければ意味がありません。画面の向こうに人間がいること、情報には真偽があること、拡散には責任が伴うこと。これを家庭でも学校でも教える必要があると思います。 ⑩「消せば終わり」ではない 投稿は削除できても、スクリーンショットや転載によって広がった情報を完全に回収できるとは限りません。被害者の心の傷も、削除ボタン一つで消えるわけではないんです。 今回、僕が一番伝えたいのは子供を責め立てろという話ではありません。 子供には間違いを学び直す機会が必要です。でも、その機会を守ることと、被害を受けた人の権利を軽く扱うことは違う。 大人が子供に教えるべきなのは、ネットで怒られない方法ではなく、他人を傷つけずに自分の意見を伝える方法なんじゃないでしょうか。 スマホは子供でも簡単に持てる。 でも、その言葉が誰かの人生に与える 重さまで軽くなるわけじゃないんですよ。
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えっと…せんじつのゆやんさんの引用もそうですが、 音楽歌唱談義の一部の相手方がyoutubeに動画外注してこれ見ればわかる的な言葉足らずな返事で、どうもいそろくさんの立ち位置がぼやけて良く見えないのでもう少し引用するにせよどこがあなた側の主張のポイントなのかご自身の言葉で返していただけると助かるのですが… 先の添付はゆやんさんのを読んで考えろと言ったから 相手の意見に尊重し世に発信し問われた命題に寄り添いつつ僕の感じたことを述べたまでで、僕の本論は大元の投稿通りなわけで…。 それはさておき とりあえずまた引用を読めとのことなので 紹介いただいた郡司真子さんの論考も 拝読することにしましょう。 ↓↓↓↓↓↓ 「夜職の美化が、性搾取市場を拡大する」 …ってそこまで主張するなら作品の解釈だけでなく、 因果関係も検証してみましょう。🤔 郡司真子さんの論考拝見しました。 まず、女性の商品化や搾取的な労働構造を問題視することには僕も異論はありません。そして「自己肯定を描いたから問題ない」「当事者に取材したから正しい」という擁護が不十分なのもそのとおりです。 ただ今回の議論にはもう一段厳密な整理が必要だと思います。 まず「キャバ嬢でなければ描けなかった理由がない」というご指摘。それを言い始めたら、ほとんどの物語は別の職業でも作れてしまいます。 創作で問うべきなのは、 他の設定では絶対に描けないかではなくて、 「なぜその設定を選び、作品の中でどう機能させたか」 でしょう。 シンデレラには「王子に選ばれる」という物語上の構図がある。 キャバクラには「指名」という他人から選ばれることが仕事の一部となる仕組みがある。 その世界で働く女性が最後には 他人からの評価ではなく自分自身の価値を問い直す。 「選ばれることを仕事にしていても、他人の評価だけで自分の価値は決まらない」。 僕はそこにこの職業を選んだ物語上の意味があると解釈しています。 そして郡司さんの論考では、華やかな描写によって若い女性のリスク認識が低下し、勧誘が容易になり、市場の需要と供給が拡大するという懸念が示されています。 これは社会的に検討すべき仮説でしょう。 しかし、華やかな描写がある→リスク認識が下がる→参入が増える→搾取市場が拡大する。 この一連の因果関係はどの段階も検証なしに確定できるものではありません。しかも今回のMVには、ドレスだけでなく、督促状のある生活、疲弊、孤独も描かれている。それらを含めた作品全体がなぜ夜職を魅力的な成功例として受け取られると判断できるのか。 そこを具体的に論じる必要があるでしょう。 もちろん、暗い描写が少し入っていれば美化にならないという意味ではありません。むしろ華やかさと苦痛のどちらが、どのような観客に、どれほど強く届くのか。 そこがメディア表象を論じる核心ではないでしょうか。 そして、もう一点。 キャバクラ、パパ活、売春、AVを、一つの「性の商品化」という概念だけでまとめるのは慎重であるべきです。構造的な共通点を論じることはできます。 でも、サービスの内容、法的な位置づけ、労働環境、リスクは同一ではありません。 搾取構造を正確に批判したいなら、まず異なる産業や行為の違いを正確に把握する必要があります。 父親の手と現在の男性の手を重ねた演出についても、不快に感じる方がいることは理解します。 ただ、映像で二つの仕草を重ねることは、二つの愛情を同一視する場合だけでなく、その違いを浮かび上がらせる場合もある。その演出が成功したかどうかは批評できますが、一つの解釈を唯一無二の意味として確定するのは違うでしょう。 そして、紅白のような公共性の高い場では、どんな作品をどう届けるかという判断も重要です。 でもそのMVが実際にどう放送され、何を引き起こすのかという問題まで、まだ起きていない段階で確定することはできません。 僕はジェンダー批評を否定しているわけではありません。女性の主体性が十分に描かれているか、男性視点による固定観念が入り込んでいないか、映像が望ましくない価値観を再生産していないか。どれも大切な問いです。 ただし倫理的な懸念と、 実際に社会的な加害が生じたという事実認定は別です。 そして、キャバクラという設定を別の職業に置き換えることができるというだけでは、今回の選択が誤りだったことにもなりません。 僕は別に熱烈なファンでもないし、作品を無条件に擁護はしません。でも批判の結論まで無条件に受け入れるつもりもありません。 「その作品が搾取を描いたのか。 搾取を肯定したのか。 それとも実際に搾取を助長したのか。」 この三つは区別して検証すべきです。 「社会への影響を考えろ」と言うのであれば、 まずその影響を、想像と事実に分けて考える。 それこそ、影響力の大きい作品を 「批評する側」にも求められる責任だと僕は思いますよ。🎸 #MrsGREENAPPLE #シンデレラ
Replying to @DAM_RED777
それはあのMVで描かれたのがキャバ嬢でなければならなかった理由には全くなってないんですよ。キャバ嬢でなかったとしても描ける要素なんです。そしてキャバ嬢にしたことの弊害については、こちらのツイートがよくまとまっていると思います。
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それと…歌そのものは女の人全般に向けられた応援ソングだと思いますが、残念ながらMVではそうなっていないというお話ですが… 僕は、そもそも『シンデレラ』を 「女性全般に向けた応援ソング」 と定義するところから少し違うと思っています。 そこもそうやって勝手に決めて定義するから 余計にキャバ嬢なのに…とキャバ嬢肯定して云々かんぬんで…と今の夜職だから…といった炎上の方向に 曲自体の主人公の女性からキャバ嬢の職業リアリティの記号ラベルの方へそれていって本意がぼやけてる感がありますしね(^_^;)。 もちろんそう受け取るのは一つの解釈ですし、 実際に励まされた人もいるでしょう。 ただ、作詞家としてこの曲を読み解くなら、 僕が注目したいのは、 「誰かを励ます言葉」より、 「自分自身に問いかける言葉」 が繰り返されていることなんです。 この曲の主人公は、 最初から自分を好きで自信に満ちている人 ではありません。 愛されたい、認められたい、 誰かが羨ましい。 そんな感情を抱えながら、 自分の弱さや矛盾に気づき、 それでも自分を否定しきらずに 受け入れようとしている。 つまり僕には、外側に向けた 「あなたは素晴らしい!」という応援歌ではなく、 「他人に愛を求める前に、まず自分自身の 弱さや未熟さから目をそらさない」 という泥臭い自己受容の歌に聴こえるんです。 そして、ここが作詞上の面白さです。 繰り返される「いいの」という言葉も、 最初から最後まで同じ意味とは限らない。 強がりなのか、諦めなのか、 自分への言い聞かせなのか。 それが揺れ動きながら、 最後には自分の痛みも含めて受け入れようとする。 自己肯定とは、最初から 自分を好きでいることじゃない。 好きになれない自分とも、 どう付き合っていくかという問題なんです。 だからMVも、すべての女性の人生を 代表する物語である必要はないと思っています。 キャバクラで働く一人の女性を描いたからといって、 そこで働く女性全員が同じ承認欲求を抱えている という意味にはならないし、女性全般が その主人公に共感しなければならない わけでもありません。 個別の人生を描きながら、 その奥にある人間共通の感情へ届ける。 それも物語の大切な表現方法でしょう。 ただし、僕も一つ注意したいことがあります。 こういう自己救済のメッセージは、 受け手が置かれている状況によっては、 「苦しいのは自分を愛せないせいだ」 「自分で何とかしろ」という 冷たい自己責任論に聴こえてしまう危険もあるんです。 でも、自分を受け入れることと、 社会の問題を一人で解決 しなければならないことはまったく違います。 だからこそその繊細なメッセージを MVが十分に伝えられたのかという批評は成立します。 僕はそこまで否定しません。 大森さんも全てが万能な完璧な人間じゃないし 制作者の意図が必ずしも完璧に聴き手の そう受け取られているとは限らない。 でも大森さんは制作にあたり最善を尽くし この曲の表現についていろいろリスクも孕みながら アーティストとして挑戦し試行錯誤して世に出したということ。もちろん「ミスリード」だったという結果も 十分あり得るからそれは後の歴史が結果として示してくれるでしょう。 ただ、「女性全般を励ます映像になっていないから失敗」という評価では、そもそもの作品の主題を狭く捉えすぎていないでしょうか。 「誰かに愛されれば幸せになれる」という物語から、「誰かに愛される前に、自分自身を見失わない」という物語へ。 僕が大森さんの『シンデレラ』に感じるのは、 そんな簡単には答えの出ない、 人間の弱さと自己受容の問題なんです。 「自分を愛せ」という綺麗事じゃない。 「自分を嫌いになる理由がいくらあっても、 それでも自分を見捨てない」という覚悟。 僕は、その綺麗事では出せない人間の泥臭さこそが この曲の魅力だと思っています。🎸✨ #MrsGREENAPPLE #シンデレラ
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【炎上したのはMVなのに、なぜ音楽まで聴こえなくなった? ミセス『シンデレラ』が暴く「レッテルで耳を塞ぐ人」の10箇条🤔🤔🤔】 「さっきまで良い曲だったのに炎上してると知った途端、駄作になる?? …ってその間に音符の一つでも変わりましたか?🤣」 僕は音楽を作る人間として、ここに現代の音楽鑑賞が抱える厄介な問題を感じています。 Mrs. GREEN APPLE『シンデレラ』は9月30日発売のアルバムに収録され、MVは10月23日に公開されました。 つまり、曲そのものは炎上より前から存在していた。 それなのに映像への評価が、音楽の評価まで左右することがある。今日はこの仕組みを考えたいんです。🎸 ①【音符は変わらない。変わるのは先入観🧠】 同じ曲でも、好意的な紹介の後に聴くのと、批判を読んだ後に聴くのでは、注目する部分が変わり得ます。心理学でいう期待効果やプライミングに近い現象です。情報が音楽の入口を変えるんです。 ②【「キャバ嬢」の四文字が、物語を上書きする👠】 『シンデレラ』のMVでは、華やかな仕事着だけでなく、疲弊した日常や自己肯定へ向かう物語も描かれています。でも「夜職の美化」という評価を先に知れば、その主張を裏付けそうな場面ばかり探してしまう可能性がある。これが確証バイアスの怖さです。 ③【AIと聞いた瞬間、魂が消える?🤖】 AI生成音楽にも似た議論があります。「AIらしいから感動できない」と言う人がいる。でもAIだと知る前に感動していたなら、その感情まで偽物だったのでしょうか。制作背景の評価と、耳で感じた音楽の評価は分けて考えたい。 ④【今回のAIは、映像制作の一部です🎬】 『シンデレラ』のメイキングでは、手描きの原案やモーションキャプチャーにAIを組み合わせた制作工程が紹介されています。そこから「曲までAI製」と考えるのは早計。何にAIを使ったのかを確認せず、作品全体にラベルを貼ってはいけません。 ⑤【オーケストラの響きは、炎上しても変わらない🎻】 この曲では壮麗なオーケストラとバンドサウンドが交錯します。音の重なり、旋律の起伏、ダイナミクスの設計。そうした音楽的な仕事の良し悪しは、映像の題材への賛否とは別に検討できるはずです。 ⑥【「いいの」は、ただの開き直りなのか?🎤】 歌詞では「いいの」が繰り返され、その途中で自信や迷いの揺れも描かれます。同じ言葉でも、前後の文脈によって意味は変わる。作詞とは、同じ言葉に違う感情を宿す仕事でもあるんです。 ⑦【炎上を知ってから、欠点探しをしていない?🔍】 「この曲の何が好きか」ではなく、「何が批判されているか」を確認するために再生する。そんな聴き方に変わることがあります。作品を味わう時間が、他人の結論を採点する時間になっていないでしょうか。 ⑧【数字が増えても、根拠は増えない📱】 同じ批判が何千回拡散されても、独立した根拠が何千個生まれるわけじゃない。一方、ファンの賞賛も同じです。多数派の感想は世論を示しても、和声や演出の分析を代行してはくれません。 ⑨【倫理的に問題があれば、評価を変えてもいい⚖️】 ここは大切です。制作背景や表現上の問題を知って、作品への評価が変わるのは必ずしも思考停止じゃありません。著作権やジェンダー表象への批評にも意味がある。ただ、何を問題視して評価が変わったのか、自分で説明できることが重要なんです。 ⑩【他人の感想を自分の感性にしない🎸】 僕は『シンデレラ』のMVを無条件に正しいとは思いません。批判され得る演出もあるでしょう。 でも、映像の是非と、音楽の旋律・編曲・歌唱の評価は同じではない。 そして、その境界を意識することは擁護ではなく、作品を正確に評価するための基本です。 好きなアーティストだから全部正しい。 嫌いなアーティストだから全部間違い。 AIを使ったから無価値。 炎上したから駄作。 そんなに簡単に、自分の耳を他人に貸してしまっていいんでしょうか。 情報は作品を深く理解するためのもの。誰かが作った結論を、自分の感性に上書きするためのものじゃない。 「作品に何が起きたかを知ること」と「作品から自分が何を受け取ったか」は、別々に大切にしたい。 「炎上で音楽が変わったんじゃない。 変わったのが自分の聴き方なら、 その理由まで自分の言葉で説明できる人でありたいですね。」🎸✨ #MrsꓸGREENAPPLE #シンデレラ
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DAM「声の赤魔道士RED」 retweeted
Replying to @MASAYAHARA734
こういうのを冗長っていうんだよ、要約はそんなこ難しい言葉で一文書いてるだけだけど、それで伝わると思ってるんだからおめでたいよね。文字だけのSNSの怖さをわかってないし、短い言葉には解釈が広がるということも。補足なのか何なのか、よくわからない言葉羅列して文字数あるけどそこまで大した中身が伝わらない。それを読み返して皆に伝わると思うの? 僕がおしゃべりが長いのは自覚しているけどねw
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DAM「声の赤魔道士RED」 retweeted
Replying to @MASAYAHARA734
ʅ(๑  ᷄ω ᷅ )ʃ💭ヤレヤレ カウンターのつもりだろうけど、 法律分かってないね。 Grok君にでも聞いたんだろうけど ハルシネーションって知ってるかな? そこがAIの限界であり、AI過信して出す あなたの事実誤認なんだよ。 まぁ結論から言うと侮辱罪(刑法231条)の適用可能性は、文脈次第で成立しうるが、必ずしも確実ではないというのが実情ですね。 刑法231条ってのは「事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者」を処罰する規定。Xの公開投稿は原則として公然性を満たし、抽象的な軽蔑表現(「バカ」「クズ」など)でも成立し得ます。 ただしね、あなたに別のリプで補足説明して差し上げた文字だけのSNSが、ここにも判断の材料になってくるんだよ。 あなたがわざわざリストアップされている「読解力なさすぎ」「コミュニケーション能力ない」「反知性主義の見本」などの表現は、まさに文字の切り抜きなわけだよ。それが本当に侮辱罪に当たっているかは、言葉そのものではなく、言葉がどのように使われているか。 その背景と前後の文脈が当然判断材料になるわけだけど、私はあなたと違って、議論では基本的に投稿内容に対して。 言葉を選んで発言しているのであってSNSあるあるな、議論で負けが確定すると、相手の人格攻撃が始まるみたいなことにはならないわけだよwww 音楽作品の解釈をめぐる議論の中で相手の主張や理解力を批判するものとして捉えられやすく、純粋な人格攻撃(例: 単純な「ばーか」や性的下品表現の繰り返し)と比べると、意見・論評の範囲内と判断される余地があるってこと。 リーガルマインドに基づいて、もう少し法律的な言葉で説明してあげると裁判所は投稿の前後関係・目的・表現の程度を総合的に見て「社会通念上許される限度を超える侮辱か」を判断するため、単に「強い言葉がある」だけでは確定しません。むしろ、その判断のために、前後の文脈としてあなたのこれまでの拙い残念なコメントが並ぶとむしろ、あなたの不誠実なコメントの数々の方が問題視されこの侮辱罪もはじめ他の余罪適応可能な可能性があり追求の要素に十分なり得ますし逆に裁判所がその判断をする過程であなたの余罪を確定する確率の方が非常に高いと思いますよwww😅。 僕は相手の言葉遣いやこちらへの態度に合わせ残念な人には厳しいトーンで塩対応しておりますがああなたと違いきちんとこ言葉は選んでますのでたただの相手への人格攻撃はしないのですよ。 あなたはか昨日はともかく今日はただの人格攻撃に走ってしまった。この事実をきちんと受け止めてください。大人ならこれこそ自分の過ちを謝罪しても然るべきかと思いますが😅 法律もしらずに負け惜しみでこんなこと言ってたら侮辱罪だけだと思ってるみたいですけど余罪増えますよ?
こいつ、マジで、これ、ライティングしたの? Xの構造や仕様も理解してなくて、事実誤認で筆者を罵倒。侮辱。残念ながら、侮辱罪だが、申告はしない。あまりにも、かわいそすぎる事例だ。 だから、一発目で、反知性主義だと言われてしまうのだ。 もうこれで、十分、証明されただろう? とりあえず、一言、ごめん、っていいな。
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おい、ちょっと待ってくれよwww。 あなたのこの投稿、「おーい、ばーか」って二回も書いて、さらに「ヤリ逃げヤリチンポコチン」って何度も繰り返してるじゃん😅。まともに議論も出来ず、こちらの反論コメントが気に食わなくて侮辱罪だと、法律分かりもしないのに法律チラつかせて威圧してくれた割にGROK君にこちらの発言に侮辱罪の該当なしと突っ込まれて終わってましたけど、あなたのこのこの発言こそが、ただの感情的な言い返しじゃなくて、ちゃんと侮辱罪の構成要件に当てはまる内容なんだよ。 刑法231条の侮辱罪って、事実を摘示しなくても「公然と人を侮辱した」だけで成立する。公然性はXの公開投稿で完全に満たしてるし、わざわざ引用投稿してるからその対象が僕だとアカウントも特定して、引用リプで直接向けてる。で、中身が「ばーか」と性的な下品な造語で相手の人格そのものを下げてる。これがまさに「事実を示さずに相手を貶める」典型例だよ。勉強になるでしょ? 実際、法務省が公表した事例でも「馬鹿じゃ」とか「ばかが」って言っただけで科料や罰金になってるケースが普通にある。ましてや「ヤリ逃げヤリチンポコチン」みたいに性的に下品な表現を重ねて「逃げた」「ヤリ捨てした」みたいに人格を攻撃してるのは、ただの意見表明の範囲を明らかに超えてる。僕が書いてたのは作品の読み方の話で、あなたの個人的な性癖や人格をどうこう言ってるわけじゃないのに、いきなりそっちに持ってきて下品な言葉で叩いてくるのは、議論を放棄してただの悪口に落としてるだけだろ。 引用って分かるかってお前が言ってるけど、引用した上で「ばーか」「ヤリチンポコチン」って付け加えた時点で、もう引用の範囲を超えてる。気に触ったなら大元の音楽投稿の具体的にどこがどうおかしいのかを指摘すればいいのに、それをせずに人格攻撃に逃げてる。これが「話が終わってない」って主張の根拠になってる時点で、論理的に破綻してるよ。 要するに、あなたやってるのは「自分のポストを批判されたことに腹が立った」っていう感情を、相手を下品に罵倒することで処理しようとしてるだけで、それ自体が侮辱罪の要件を満たしてる。もし本気でこれが正当な反論だと思ってるなら、どこが「意見の表明」でどこからが「人格攻撃」なのか、具体的に説明してみな。できないなら、この投稿自体が既に違法な侮辱になってるってことだよ。 元はと言えばそちらから、曲もちゃんと聞いてないのに、赤の他人がミセスのシンデレラの話題に突っ込んできておいて反知性主義だとか、小難しい言葉を羅列するだけで、まともに会話もできずあなたのやってること自体が迷惑行為だからね?ちなみにこれ以上の残念なコメント発信して醜態さらすのはやめた方がいいと思うよ。もちろんわざわざこの発言をコメントで出しているのもちゃんと意味があるからね。裁判する時には、内容証明郵便を送ったりするんだけどこれは次の構成要件を満たすための警告だからね。 SNSでのマナーは大切に。自分の過ちはきちんと認めて謝罪するのも大事ですよ。ひ 以上。
おーい、ばーか 藤井セイラは、抗議したら、件のポストを削除したみたいだが、おまえは、ヤリ逃げヤリチンポコチンか? 話は終わっとらんやろ。ひとんとこ、のこのこ出かけてきて、てめーの気が済んだら、ヤリ逃げヤリチンポコチンか? 筆者のポストのどこがどう、おまえの気に触ったのか知らんが、引用や。引用って分かるか? ひとのタイムラインに外から割り込んで、気がすんだか、なんかしらんが、にげれる思うなや ばーか。
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「子どもの将来を守れ」には賛成です。 でも「だから実在の子役をAIに置き換えろ」では、 少し話が飛躍していませんか?🤔 う~ん…これはまた子役の権利保護という 正当な論点ですよね((+_+)) まず、子役の将来のプライバシーや、 出演した作品によって不当なイメージを持たれる 可能性を慎重に検討すべきだという点には、 僕も賛成です。 そこは制作側が責任を持つべき問題でしょう。 ただ、今回僕が論じてきたのは 「子どもが夜職の存在を知ること」と 「夜職を推奨すること」を混同してはいけない、 という話です。 一方、あなたが提起されたのは、 子役本人の出演に伴うリスク。 これは別の重要な論点。 ですが…せっかくですし具体的に考えてみましょう。 今回の子役は、夜職に従事する子どもを演じているのでしょうか? そうではなく、「主人公の幼少期」という物語上の役割を担っていますよね。 「大人になった主人公が夜職で働く物語に出演した」ことと、「その子役自身が夜職と結びつけて評価されるべきこと」はまったく違います。 もちろん、世の中には悪意ある切り抜きや、 出演者への不当なレッテル貼りもあります。 だからこそ、制作側には出演内容の説明、本人と保護者の意向確認、プライバシー保護、公開後の対応まで含めた配慮が求められます。 しかし、そこで一つ疑問があります。 「将来、誰かが勝手に悪いイメージを持つかもしれない」ことを理由に、実在の子役を出演させるべきではないとしたら、社会問題や犯罪、貧困、家庭の葛藤を扱う映画にも、子どもは出演できなくなりませんか? 映像作品には、子どもが大人の世界の矛盾を目撃したり、過去の記憶として登場したりする演出が数多くあります。必要なのは子役の一律排除ではなく、出演する子どもの利益を優先した個別のリスク評価でしょう。 また「AIを使えばいい」という提案も、 万能な解決策ではありません。 これはまたAI論争突入したら泥沼のとんでもない方向に論点が移りますからね(^_^;) 架空の人物なら実在の子役への負担は避けられます。 でも、AIには学習素材の権利、実在人物への類似、映像表現の品質といった別の検討事項がある。 「AIなら安全」も「生身の子役なら危険」も、技術だけで結論を決める発想になってしまいます。 そして「国際的には無理筋」という点について、まずREDの外の人が知る範囲で先に海外の子役保護制度を少し補足しますね。🌍 例えば米国カリフォルニア州では、子役の就労許可、撮影時間の制限、教育や安全を監督するスタジオティーチャー、出演報酬の信託保護などが制度化されています。 英国でも、一定の出演には自治体の許可が必要で、保護者などが付き添わない場合には認定された付き添い人による監督が求められます。 フランスでも、16歳未満の子どもが映画や映像制作に出演する場合、原則として事前の行政許可が必要です。 つまり、海外の制度は「実在の子役を使うな」ではなく、「実在の子役をどう守って出演させるか」を重視しているんですね。 もちろん、出演後のプライバシーや将来への影響も重要な問題です。ただし、その懸念だけでAIへの置き換えが国際標準だとは言えません。 「国際的には無理筋」とおっしゃるなら、具体的にどの国の、どの法律や制作基準に反するのかを示していただきたいですね。海外の子役保護を引き合いに出すなら、まず海外の制度そのものを正確に理解する必要があると思います。国際的に子どもの権利保護が重視されることと、実在の子役を使うこと自体が不適切であることは同義ではありません。 僕はミセスの制作判断を無条件に正当化したいわけじゃありません。実際に子役への説明や保護が不十分だった事実があれば、それは厳しく検証すべきです。 でも、配慮が必要であることと、配慮がなかったことは別です。現時点で確認できない制作上の問題を、起用したという事実だけで断定するのも違うでしょう。 子どもの未来を守ることは大切です。 だからこそ僕は、子どもが芸術に参加する機会まで、 想像上のリスクだけで奪ってしまうことにも慎重でありたい。 「子どもを守る」とは、子どもを作品から消すことじゃない。子どもの権利を守りながら、安心して表現に参加できる環境を作ることだと思います。🎸
その想像力とやらで子役の子が将来どういうイメージ持たれるのか慎重に考えて回避できないのはどうかと思います。 日本って逆に大人に甘いのでは?別に夜職だすことはいい。そこに生身の子が必要だったの?AIを駆使するなら誰と特定されない架空の子を使うべきでは。マスク着用と同じ国際的には無理筋
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そうですね。 まさにこれがそうでしょう。 マンスプレインの本質が 「相手を知らないと決めつけて上から説明する」ことなら、 相手の文章の中身を読まずにジェンダーの型で切り捨てて ラベル貼りをしたあなたはいったい?
世界ではこれを「マンスプレイン」と言うんだぜ。
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【楽譜も読めないのに、なぜミセスの曲はこんなに難しい? 大森元貴がひっくり返す「音楽理論」の常識10箇条🤔🤔🤔】 「楽譜が読めない? じゃあ、あの複雑な曲はいったい誰が作ってるんですか?🤣🎹」 Mrs. GREEN APPLEの大森元貴さんは、自分では譜面を読めず書けないと公言しています。 でも『ライラック』『ダンスホール』『ケセラセラ』『Soranji』を聴けば、単純な曲ばかり作っているわけじゃないと分かるでしょう。 音楽を作る僕が面白いと思うのは、音楽を説明する能力と、生み出す能力は必ずしも一致しないということです。 ①【楽譜は設計図。でも音楽そのものじゃない📖】 五線譜は音高やリズムを共有する優れた記録方法。でも、耳で構成を組み立て、音源で伝える方法もある。図面が読めることと、美しい建物を発想できることは別なんです。 ②【理論を知らなくても、理論は働く🎼】 コードの名前を知らなくても、響きの緊張や解決は耳で選べる。ただし、読譜が苦手なことと、音楽理論を一切理解していないことも別。理論は音楽の許可証じゃなく、音楽を理解するための言語です。 ③【『ライラック』のイントロは、ギタリストへの挑戦状🎸】 若井滉斗さん本人が、デモを聴いて運指に悩んだと語る難しいフレーズ。タッピングとアルペジオが入り交じります。でも大切なのは速弾き自慢じゃない。技巧的なイントロそのものが、曲を記憶させる強烈なフックになっているんです。 ④【『ダンスホール』は、歌もリズム楽器🥁】 ベースとドラムの躍動だけでなく、歌の言葉がどの拍に乗り、どこで跳ねるかを聴いてほしい。踊れる曲は、伴奏だけで踊らせるわけじゃない。歌の譜割りもグルーヴを作るんです。 ⑤【『ケセラセラ』は、高音だけが難しいんじゃない🎤】 旋律の起伏、言葉のまとまり、フレーズを支える呼吸。歌い手は次の音だけでなく、その先の言葉まで設計しなければならない。高い音が出せることと、一曲を自然に歌い切れることは別なんです。 ⑥【『Soranji』は、音を増やす意味を知っている🎻】 ストリングスに、2番から重なるクワイヤ。大森さんは賛美歌のような神聖さを構想し、EFFYさんと編曲しています。壮大だから感動するんじゃない。何を伝えるために壮大にするのかが重要なんです。 ⑦【作詞と作曲、どっちが先? 両方です🗣️】 大森さんはDTMでトラックを作り、鼻歌から旋律と歌詞が同時に出てくる制作法を語っています。言葉の長さ、母音、リズムを一緒に考えられる。歌詞を後から無理に音符へ押し込む必要がないんです。 ⑧【転調も変拍子も、飽きさせないための武器🔄】 本人は、制作中に飽きないよう拍子や調を変えると説明しています。ただし、複雑にすれば名曲になるわけじゃない。変化の価値は、難しさではなく、聴き手の期待をどう動かすかで決まります。 ⑨【一人で作れる。でも一人では完成しない🤝】 大森さんの音源を聴き、若井さんと藤澤涼架さんが演奏へ落とし込む。そこには運指、音色、身体的なニュアンスという別の創造性があります。作曲家の発想を、演奏家が現実の音に変える。これもバンドの凄さです。 ⑩【「天才」の二文字で、仕事を終わらせるな🔥】 僕が大森さんを評価するなら、楽譜が読めないことでも、難曲を書けることだけでもありません。 大衆が口ずさめる入口を作りながら、和声、旋律、編曲には聴き込むほど発見できる奥行きを残すこと。 本人も「間口を広げては奥行きをつける」という制作思想を語っています。 もちろん理論や読譜は学べば大きな武器になります。不要だと言いたいわけじゃない。でも理論を知っていることを、創造性そのものと取り違えてはいけない。 「音楽理論を知っている人が、必ず名曲を作れるわけじゃない。でも名曲には、理論で解き明かせる仕組みがある。」 僕ら音楽家が学ぶべきなのは 「天才だから」で思考停止することではなく、その人が実際に 音で何を実現しているのかなんです。🎸✨ #MrsGreenApple
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「被害者を守る」と言いながら、その傷を拡散していませんか? ぶた太郎さん、あなたは僕の長文返信を「傷ついている人への配慮がない」と批判されていますが、だったら一つ聞きたい。あなたが本当に守ろうとしているのは、当事者の心ですか? それとも、当事者を守っているという自分の正しさですか? まず大前提として、僕の文章が長すぎる、傷ついた人には負担になるという指摘自体は理解できます。実際、善意であっても相手の心理状態や受け取る余裕によっては、言葉が負担になることはある。だから僕の返信だって批判の対象になり得ます。 ただし、ここからが重要なんですよ。 あなたは当事者への通知を避け、僕の返信も読めないようにしたことを配慮だと説明されていますね。それ自体は一つの配慮でしょう。しかし、「本人に通知しないこと」と「本人の苦しみを拡散しないこと」は、まったく別の問題なんです。 SNSの引用投稿には、元の発言を新しい閲覧者へ届ける機能があります。つまり、本人への直接通知を避けたとしても、引用によって新たな人々が当事者の告白へたどり着く可能性は残る。さらに第三者による再引用やスクリーンショットなど、投稿者自身が制御できない経路も生まれる。 これがSNSの二次拡散という構造です。 もちろん、引用批判がすべて悪いわけではありません。問題のある発言を可視化して注意喚起する必要がある場合もあるでしょう。しかし今回は、極めて個人的な苦しみを吐露している当事者が存在する。だったら、批判する側にも、その人の告白をどこまで広める必要があるのかという判断が求められるはずです。 僕の返信を問題視するなら、当事者の投稿を引用せず、僕の発言だけを対象に批判する方法だってあるでしょう。 あなたが僕の文章を不適切だと考える自由はあります。でも、その批判を正当化するために、当事者の繊細な告白まで新しい観客の前へ運ぶ必要があったのか。そこを問うているんです。 そしてもう一つ。 あなたは「長文を送りつける神経が分からない」と言いますが、文章の長さと加害性は同義ではありません。短い言葉でも人を深く傷つけることはあるし、長い文章でも誤解を避け、相手の事情を丁寧に扱おうとする場合がある。 本来検証すべきなのは文字数ではなく、何を伝え、何を否定せず、どんな心理的負担を与え得るかでしょう。 長文だから無神経、短文だから配慮がある。そんな単純な話ではないんですよ。 僕自身も、自分の言葉が相手にどう届くかについては常に考える必要があると思っています。だからこそ、他人の配慮を批判する人にも、自分の行動が生む影響を同じ基準で検証してほしい。 正義感というのは、持っているだけでは免罪符になりません。 誰かを守るつもりで始めた批判が、結果としてその人の望まない注目を集めてしまうことだってある。これは僕にもあなたにも当てはまる話です。 本当に当事者を尊重するなら、まず当事者の意思を勝手に代弁しないこと。そして、自分の正しさを証明するために、その人の苦しみを必要以上に利用しないこと。 あなたが僕を批判するのは自由です。ただ、「自分は配慮した」と説明することと、「実際に配慮が十分だった」ことは違う。 他人の言葉の危険性を指摘するなら、自分の拡散行為が持つ危険性にも同じだけ厳しくあってほしいですね。 僕が問いたいのは、あなたの善意の有無ではありません。あなたの思い込みの主観的常識を前提に具体的な根拠も示さず、これがモラハラで暴論と言われるのも心外ですし。 その偽りの善意が、当事者を守る行動として本当に機能しているのか。そこなんですよ。そしてこれは確かにあなたの言うとおり本来意図しない余計なダメージを大元にもたらしたかもしれません。 これもまたあなたの綺麗事での余計なお世話から生まれた僕のアクションです。 これだけは引用元に申し訳ないと思いますがいわゆるセカンドレイプ状態に気付かぬ加害者に知らしめるための僕の罪ですね😅この投稿の問題がそのままあなたの問題点そのものということを。
傷ついてる人にこの長文を送りつける神経が私には分からない
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【「長文は浅い」と言う人ほど、なぜか中身に反論できない10箇条🤔🤔🤔】 「長い!」「浅い!」「短く書け!」… っていやその短さが誤解を生むから長く説明してるんですけどねww🤣 SNSは基本的に言葉だけで意思を伝える世界。でも言葉って厄介で短くするほど解釈の余地が広がることがある。 もちろん短文が悪いわけじゃない。 ただ複雑な話を無理に圧縮すると、前提や条件が抜け落ち、「書いてもいない意味」を読み手が補ってしまう。そこで起こるのが、僕がSNSで最も恐れている「勝手に解釈して、勝手に怒って、勝手に反論する」というおバカさんによるセルフ論破劇場ですwww😅。 ①【文字数は数えるが論点は数えない】 「長い!」と即答。でも、どの主張が間違っているのか聞くと具体性がない。文字数の批評と内容の批評は別物ですよ🤣 ②【「浅い」の二文字で評論家になれる】 前提の誤りも因果関係の矛盾も指摘せず「浅い」。便利な言葉ですね。音楽なら「この曲ダメ!」で評論を終えるようなもの。せめて何がどうダメなのか説明しましょうよwww。 ③【短くすれば正確になるという謎の信仰】 要約とは意味を維持して無駄を削ること。必要な条件まで削れば情報欠落です。手術時間を短縮するために麻酔を省くような話で、効率化と手抜きは違います。 ④【言葉の空白を、自分の妄想で埋める】 例えば「歌唱技術だけで歌手の価値は決まらない」と書くと、「歌唱技術なんて不要と言ってる!」と怒り出す人がいる。いや、一言も言ってません🤣。 書かれていない主張を勝手に作るのは読解ではなく創作活動です。 ⑤【自分で作った敵を、自分で倒して勝利宣言】 これが一番厄介。相手の主張を歪めて攻撃しやすい形に変えるストローマン論法(相手の意見をすり替えて反論する詭弁)です。僕が言っていないことを僕の主張にして、それを論破して大喜び。おめでとうございます。でも、その試合、対戦相手も審判もあなた一人ですよwww。 ⑥【説明を省けば怒り、説明すれば長いと怒る】 短く書けば「根拠は?」。詳しく書けば「長すぎる!」。じゃあどうすればいいのか。説明を求めるなら、説明を読む姿勢も必要でしょう。 ⑦【文脈を切り取ると、誰でも悪役にできる】 「この歌唱には改善点がある。ただし作品の表現として成立している」という文章から前半だけ抜けば批判、後半だけ抜けば擁護に見える。SNSでは引用の切り取り一つで意味が逆転する。だから僕は前後の文脈を大切にしたいんです。 ⑧【読みにくいと、内容が間違っているを混同する】 長文が読みにくいという指摘は成立します。僕だって改善の余地はある。でも、読みにくさは文章構成の問題で、内容の正誤とは別。読むのが面倒だから間違い、なんて論理はありません。 ⑨【理解する前に反論を準備している】 相手が何を伝えたいかより、どこを攻撃できるかを探す。こうなると会話ではなく勝敗ゲームです。SNSの承認欲求が議論を競技に変えてしまう。相手の意見を理解することと、賛成することは違うんですよ。 ⑩【短く書けると言いながら、短く書いてくれない】 「三行で十分!」と言うなら、前提、根拠、例外を維持して三行にまとめてみてくださいww。僕もぜひ勉強したい。 単に削るだけなら誰でもできます。 意味を失わず削るから技術なんです。 僕は長文が偉いなんて思っていません。短く鋭い文章も大好きですし、僕自身、喋り出すと止まらない悪癖があるのは自覚しています🤣。 ただ、SNSで怖いのは、言葉足らずの空白を相手の想像で埋められ、いつの間にか自分が言ってもいない発言の責任まで問われること。 だから僕は、誤解されそうな前提や例外をできるだけ言葉にしておきたい。 それでも万人に正確に伝わる保証はありません。長文でも誤解は生まれるし、悪意ある切り取りを完全には防げない。 でもね、「短く書け」は文章への助言になっても、「長いから浅い」は内容への反証にはならないんですよ。 大体この手のセリフで噛み付いてくる人は自分のこと棚上げで文章能力も乏しく知識もあまりない人が多いですw こちらの文章をちゃんと読み解ける力がないから、そんなこと言うんですけどねw ちなみに今回も10箇条にしたら長くなりましたwww😅。 臆病に石橋を叩き過ぎて渡り僕の文章が長いのは改善課題w。 でも書いていないことまで読んで怒るのはもはや読解力じゃなくて超能力の問題ですwww🤣
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通りがかりで気になったので…👀 「自分を愛せるようになったら、 それで何が解決するの?」 僕は、この問いを軽く扱うべきではないと思います。 まず、あなたが実際に近い世界を経験し、MVやメイキングまで見たうえで、そこまで強い苦痛を感じたということ。その声を「考察が足りない」「作品を理解していない」で片づけるつもりはありません。 僕はこれまで、大森元貴さんが『シンデレラ』で描いた、誰かに選ばれることと自分自身を認めることの違いについて、肯定的に考察してきました。 ただ、ここで重要に思うのは、それは 「自分を愛せば人生の問題が解決する」 と言っているわけではないんです。 夜の仕事に関わる人が抱える事情は、 経済的な問題、人間関係、社会的な偏見、 労働環境など、人によってさまざまです。 自己肯定だけで解決できない問題がある。 それは当然だと思います。 そして、あなたが指摘した 「父親の手と男性の手を重ねる演出」。 僕には、過去に求めた安心感と 現在の人間関係を重ねる表現として 読む余地があるように見えます。 でも、制作側が何を意図したかと、 当事者がその映像をどう受け取るかは別です。 その重ね方によって、女性の複雑な経験を 安易な愛情不足の物語に見せてしまったのではないか。そういう批評には、十分向き合う価値があります。 ただし、映像中の男性が具体的にどういう関係の 人物なのかは断定できる描写と推測を分けたいですね。 大森さんが実際に夜職経験者へ取材したことも 確認されています。でも取材したから当事者全員の 感情を理解できるわけではありません。 同時に男性だから女性の物語を描く資格がない とも僕は思いません。 問題は誰が描いたかだけではなく、 「何をどう描き、その表現がどう届いたか」です。 僕はこのMVの構成や主題には創作上の意義を感じています。それでもあなたのように傷ついたと訴える人の声まで否定するつもりはありません。 むしろ音楽を作る側として、 考えなければならないことがあります。 「希望を描いたつもりの作品が、 なぜ誰かには絶望的に感じられたのか?」 これは、制作者にも批評家にも突きつけられる重い問いでしょう。あなたが作品に納得する必要はありませんし、今は無理に見返したり説明を続けたりする必要もないと思います。 「作品に込めた優しさ」と 「受け取る人に届いた優しさ」は、 必ずしも同じではない。 僕は『シンデレラ』の表現を評価する立場だからこそ、その違いからも目を背けたくないなと思いました。
円光ばっかりやってる"情けない側の"人間だから言うけど、ミセスのシンデレラのMVがありえなさ過ぎて、すごく気持ちが落ちてしまって、吐き気が止まらない このMVの女の子は、自分を愛せるようになって、それで何かが解決したの? ビハインドも全部見た、くまなく見た、 それでも意味がわからない
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【夜職を描いたら教育に悪い? ミセス『シンデレラ』炎上と「寝た子を起こすな」という古い道徳の呪い🤔】 「子どもが知らない世界を見せるな!」 …ってそれ、昔の性教育で散々聞いた 「寝た子を起こすな」と発想がそっくりじゃありませんか?www🤣 Mrs. GREEN APPLE『シンデレラ』のMVをめぐる議論で、僕が音楽家として危惧しているのは、作品の内容ではなく、題材の存在そのものを教育的悪影響と決めつける発想です。 かつて日本の性教育には、「子どもに性の知識を与えると、余計なことに興味を持つ」という考え方がありました。 いわゆる「寝た子を起こすな」です。 実際、2000年代には性教育への激しい批判が起こり、教育現場を萎縮させた歴史もあります。 「知らなければ安全。 教えなければ興味を持たない。」 でも、知識を与えないことと、子どもが自分を守れるようになることは別でしょう。 性教育と音楽作品はもちろん違います。ただ、何かを知ることと、それを実行することを短絡的に結びつける発想には、共通した問題があるんです。 今回も「夜職を描けば子どもがその世界を知ってしまう」「憧れる可能性がある」と言われます。では、 存在を知ること、 憧れること、 実際に行動すること。 この三つをなぜ一緒にしてしまうのでしょう?子どもへの影響を懸念するなら、どの描写が、どの年齢層に、どのような影響を与えるのかを具体的に検討すべきです。 「危なそうだから見せるな」で議論を終えるなら、昔の「寝た子を起こすな」と何が違うのでしょう。 そして、もう一つ。 「キャバクラで働く女性を否定しているわけではない。物語の主人公に採用することが問題だ」という意見です。 では、その女性の人生は、どんな条件なら芸術で描いていいんでしょう? 不幸な結末なら許される? 職業の問題点を告発する作品なら許される? 国民的アーティストのMVでは登場させてはいけない? 「あなたの存在は否定しない。でも、私たちの綺麗な物語には出てこないでほしい。」 もしそんな考え方なら、それこそ職業に対する偏見を強めていませんか? そもそも今回、大森元貴さんは企画・脚本・監督を担当し、夜職経験者にも取材しています。華やかなドレス、誰かから選ばれる仕事、疲弊した日常。 ここで僕が注目したいのは、 外見と内面の対比です。 古典的なシンデレラは、 王子様に選ばれることで人生が変わる。 一方、今回の主人公は、他人から選ばれることと、自分自身を認めることの間で葛藤する。 「他人に選ばれる価値」と 「自分自身が認める価値」。 この二つを対比させるための 職業設定だと僕は解釈しています。 しかも音楽は、壮麗なオーケストラと 生々しいバンドサウンドが交錯する構成。幻想と現実、華やかさと孤独。異なるものを重ねることで、感情に奥行きが生まれる。 綺麗な映像に綺麗な音を重ねるだけが、音楽表現じゃありません。 もちろん、制作側が常に正しいわけでもありません。女性の主体性が十分に描かれているか。職業への固定観念を強めていないか。未成年の視聴に配慮すべき部分はないか。そこは厳しく批評していい。でも、題材を選んだこと自体を倫理観の欠如と断定するなら、もう少し根拠が必要でしょう。 僕は子どもに何でも無条件に見せろと言っているわけじゃありません。 年齢に応じた配慮や、現実とフィクションの違いを教えることは大切です。 ただ、教育の本来の役割は、知らない世界をひたすら隠すことではなく、世界を理解し、自分で判断する力を育てることでもあるはずです。 「知らない子は安全、知った子は危険」。そんな古い性教育の発想を、令和のMVにまで持ち込む必要がありますか?😅 音楽は道徳の教科書でも、無菌室の展示品でもありません。 人間の欲望、孤独、弱さ、社会の矛盾を描くからこそ、誰かの人生に届くこともあります。 「子どものため」を語るなら、まず大人が、嫌いな作品でも決めつけず、何が描かれているのかを読み解く姿勢を見せたい。 「子どもに現実を見せないこと」と 「子どもが現実に向き合えるよう育てること」は、まったく違うんです。 そして、子どもの想像力を守りたいのなら、まず大人が自分の想像力に鍵をかけるのをやめたいですね。🎸✨ #MrsGREENAPPLE #シンデレラMV
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ありがとうございます。 その「重すぎるテーマだからこそ、数分のMVのようなポップなフォーマットで安易に扱うべきではない」という倫理的な懸念は、表現の本質を考える上で非常に本質的な指摘だと思います。 ただ、あえて異なる視点から捉えるならば、 「社会の影や複雑な構造を抱えた世界だからこそ、 あえて表現や音楽の器に乗せることでしか 届かない層があり、問いを共有できない」 という側面もあると考えています。 シンデレラという童話の本質は、 「過酷な境遇や理不尽な現実の中にあっても、 自分の足で未来を変えようとする渇望」にあります。 夜職という現場に付随する「反社・貧困・暴力」 といった現実の暗部(ソルトさんがご指摘された問題そのもの)を直視した上で、そこに生きる人間の一片のドラマや感情を音楽の魔法(歌詞と映像)で昇華させること。 それは問題の美化ではなく、むしろ 「そこにしか存在しないリアリティと人間賛歌」 を描き出すための表現の挑戦と思います。 重いから描かないのではなく、重いからこそ表現の力であえて可視化する。 といったそのアプローチ自体が読み違えであるか否かは、受け手がその映像から何を感じ取るかに委ねられているのではないでしょうか。
夜職の世界は反社との繋がり、暴力、感染症の拡大、貧困などあらゆる問題と結びついています。たった数分のMVで扱うには重すぎるんですよ。 歌詞はいいのにMVで台無しにしてしまった印象しかないです。
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「キャバ嬢を描いたら夜職の推奨? それ物語の主人公と作者の主張を混同していませんか?」🤔 Mrs. GREEN APPLE『シンデレラ』のMVへの批判を見ていて音楽を作る側の僕としては批評者があまりに短絡的思考に思うのでもう少し丁寧に作品そのものを読み解いてほしいと思う。 まず大森さんは今回、企画・脚本・監督を担当し約8ページのプロットを作成。実際にキャバクラで働く方へのヒアリングも行ってます。もちろん取材したから作品が正しいとは限らない。でも何も考えずに題材を選んだと決めつけるのも違うでしょう。 ではなぜ主人公はキャバ嬢なのか。 ここが作品を理解する鍵だと思います。 シンデレラは誰かに見いだされ特別な存在になる物語として広く知られています。 一方今回の主人公は華やかな衣装をまとい誰かから選ばれることが仕事の一部になる世界で生きている。 「王子様に選ばれるお姫様」と 「お客様に選ばれる女性」。 この二つを重ねることで他人に選ばれることと自分自身の価値を認めることは同じなのかという問いが生まれる。 そして物語の着地点は誰かに選ばれて幸せになることではなく自分自身を肯定すること。 つまり僕の解釈ではこれはキャバクラの成功物語ではなく「他人から与えられる価値」と「自分で認める価値」の違いを描いた物語かと。 「普通の会社員でも描けたのでは?」という批判もあります。 もちろん描けます。でも同じ作品にはならない。キャバクラという設定にはドレス、化粧、指名、華やかな空間とその裏にある日常というシンデレラのモチーフと対比させやすい要素がある。 職業を変えればそこで生まれる象徴も変わります。「他でも描ける」は今の設定が間違っている証明ではない。 そして音楽にも注目してほしい。 大森さんはこの曲について フルオーケストラとライブハウスの バンドサウンドを掛け合わせる発想で 制作したと語っています。 壮麗なオーケストラと 生々しいバンドの音。 僕はこの異なる質感の共存に、 映像の華やかな幻想と現実の生活 を重ねて聴くことができます。 これは作者がそう明言したという話でなく音楽と映像を合わせて観た僕の解釈です。 でもこういう音楽的な構造まで考えてこそMVを一つの作品として批評できるんじゃないかな? 「子供が見たら夜職に憧れる」という懸念も心配すること自体は自由。 ただ心配と事実認定は違います。 作品に子供が登場すること、 華やかな職業描写があること、 それを見た子供が特定の職業を志すこと。この三つの間にはそれぞれ 説明すべき因果関係があります。 「影響がありそう」と 「だから有害な作品だ」の間を 想像だけで飛び越えてはいけない。 また「ディズニーとコラボしているのに」という批判も、論点を整理したい。 シンデレラという物語はディズニーだけのものではありません。過去のコラボレーションによって別の作品で描ける題材が自動的に制限されるわけでもない。 もちろんブランドイメージとの相性を論じることはできます。でもそれは作品が 倫理的に間違っているという証明とは別です。 さらに「コロンブスの反省がない」という声。過去の問題を検証することは必要でしょう。ただし今回も問題だと言うなら、今回のどの場面が、誰を、どのような仕組みで傷つけるのかを具体的に示すべきです。過去の炎上は今回の作品に対する有罪判決ではありません。 一方で僕は大森さんの意図を理解すれば批判がすべて消えるとも思いません。 夜職の描写が固定観念を強めていないか。華やかさと疲弊の対比が十分に伝わるか。当事者を物語の都合だけで扱っていないか。こうした問いは十分に成立する批評です。 だからこそ僕が言いたいのは単純な擁護じゃない。批評するなら作品の表現を具体的に批評しようということです。 「夜職が出たから夜職推奨」 「子供が出たから子供への悪影響」 「ディズニーと組んだからシンデレラを使うな」 これでは題材への印象を並べているだけで作品の分析には届いていません。 僕ら音楽家は孤独も欲望も矛盾も 人間の弱さも作品にします。 そこに描かれたものすべてが 作者の推奨する生き方とは限らない。 「作品に何が登場したか」と 「作品が何を語ろうとしているか」は 別の問いなんです。 そして今回の『シンデレラ』で僕が最も興味深いと思うのは、王子様を待つ物語を自分自身の手を取る物語へと読み替えたところです。 「誰かに選ばれなければ幸せになれない」という呪縛から 「自分の価値を他人だけに決めさせない」という結論へ。 そこまで読み解いた上でなお 表現が不十分だと言うなら それは立派な批評でしょう。 でも結論を先に決めてそこに都合のいい場面だけを集めるのは批評じゃない。 「作品を裁く前にまず作品を読もう。嫌いになる自由はある。でも理解しない自由を批評の根拠にしてはいけないんです。」 #MrsGREENAPPLE #シンデレラ
【「いいの」が、最後には別の言葉に聴こえる。 『シンデレラ』に隠された音楽の仕掛け10箇条🤔🤔🤔】 本題はリプ欄に書きますがとりあえず先にせっかくなのでこの曲をちょっと見てみましょう(^^♪ 「高音が凄い!」だけで終わらせたら、この曲の本当の凄さを聴き逃します。 大森さん、僕が音楽を作る側として惹かれたのは、同じ言葉を繰り返しながら、その意味を変えていく音楽の設計です。メロディー、和声、歌唱、編曲、そして沈黙までが、一人の心の変化を描いている。歌詞を目印に、少し深く聴いてみましょう。😊 ①【歌う前から、物語は始まっている🎬】 冒頭の「こんな処まで」。MVに映る幼い日の憧れを知ると、この独白は昔の夢と今の自分を見比べる言葉に聴こえる。イントロは単なる前奏じゃない。最初の一声に、どんな意味を持たせるかを準備する時間なんです。 ②【高音は高さより、置き場所が重要🎤】 「こんな処まで」の内省的な語り口と、サビの「いつだって」。声の高さだけでなく、言葉の届け方が変わる。胸の内でつぶやいていた思いが、外へあふれ出すように感じられる。高音は見せ場である前に、感情を動かす作曲上の選択なんです。 ③【メロディーも、和音を作っている🎹】 最初の「いつだって」。伴奏の和音に歌の音が重なることで、響きの色彩が変わる。旋律が和音の構成音以外を鳴らすと、華やかさの中に緊張が生まれることもある。歌は伴奏に乗るだけじゃない。和音の表情そのものを変えるんです。 ④【ベースは、心の重力を動かす🎸】 「私がシンデレラ」が繰り返される場面。歌の旋律を聴いたら、次は低音を追ってみてほしい。ベースの動きによって、同じような旋律でも和声の進行感が変わる。低音は音を太くするだけじゃない。物語を次へ運ぶ、もう一人の語り手なんです。 ⑤【同じ「いいの」が、同じ意味じゃない🥀】 序盤では、叶わない憧れを自分に言い聞かせる「いいの」。中盤では疑問が混じり、終盤では痛みを抱えた自分を認める方向へ変わっていく。歌詞を変えずに意味を変える。反復とは、同じ言葉で心の変化を描ける作曲技術でもあるんです。 ⑥【歌唱力は、言葉の渡し方にも現れる🎙️】 「あの子で」へ向かう憧れの条件の列挙。ここは音程以上に、フレージングにも注目したい。言葉をどう区切り、どこに重心を置き、語尾をどう残すか。それによって、他人と自分を比べる主人公の視線が浮かび上がる。歌唱技術は高音やビブラートだけじゃないんです。 ⑦【歌詞のない時間に、作曲家は語る🌙】 「わからない」から再び「憧れは」へ向かう間奏。言葉による説明を止め、音楽と映像に物語を預ける。聴き手は気持ちを理解する時間から、憧れの世界を体験する時間へ移る。間奏は休憩じゃない。言葉では描けない場面なんです。 ⑧【盛り上げるために、あえて引く🎼】 間奏の終わりから「憧れは」へ戻る流れ。音の密度や強弱を抑えることで、次に現れる声が際立つ。音楽は足し算だけでは盛り上がらない。一度遠ざけるから、戻ってきた声が近く感じられる。 この引き算が終盤の感情を支えているんです。 ⑨【迫力は、喉ひとつの手柄じゃない🔥】 冒頭と「私がシンデレラ」のサビ。声の表情だけでなく、伴奏の厚み、音域の配置、ミックスによる音像の広がりが存在感を変える。完成音源の迫力を、そのまま生の声量や特定の発声法に置き換えてはいけない。歌唱、編曲、音響が一緒に感情を作っているんです。 ⑩【最後に救われるのは、夢ではなく自分👑】 終盤の「唯一のシンデレラ」。 僕が感じるのは、誰かより美しくなる勝利ではありません。嫉妬も弱さも痛みも抱えたまま、自分を主人公として認め直す変化。MVで異なる時代の自分が重なることも、その解釈を支えている。 この曲は、シンデレラになれるかどうかの物語じゃない。自分をシンデレラと呼べるようになるまでの物語なんだと思います。✨ 大森さん、僕はそこに、この曲の作曲家としての凄さを感じました。 歌唱技術を語るなら、何オクターブ出るかだけじゃない。その音を、なぜその言葉に置いたのか。なぜそこで声を変え、なぜそこで音楽を引いたのか。 「いいの」と自分に言い聞かせていた人が、最後には自分を肯定する。その変化を、音楽そのものが語っている。🎶 こういうところまで聴けるようになると、 音楽って何倍も面白くなるんですよね。 ↓続く
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キャバ嬢じゃなく普通の人なら良かった?それじゃシンデレラの大事なコンセプト読み違えててもったいないかと💦
通りがかりで気になったので👀… 「普通の人の内面を美しく描けばよかった」って、キャバクラで働く女性は普通の人じゃないんですか?🤔 僕はこの批評、作品の好み以前に 前提から疑問があります。 まず、外見を飾る人と 内面が美しい人を、 なぜ対立させるのでしょう。 華やかなドレスを着ている人には、 美しい内面を描けないんですか? むしろ今回、大森元貴さんが 描こうとしたのは、その外側と 内側の落差ではないでしょうか。 幼い頃に憧れたプリンセス。 大人になって身にまとう華やかな衣装。誰かから選ばれる仕事。 そして、仕事場を離れたときの 疲弊した表情や部屋に置かれた督促状。 ここで重要なのは、華やかな外見があるから内面を描けないのではなく、華やかに振る舞っている人にも、他人からは見えない葛藤があるということです。 もし最初から飾らない、誰からも 共感されやすい人物だけを描いたら、 この対比はどうなるでしょう。 もちろん別の素晴らしいMVは作れると 思います。でもそれは今回の作品とは 違う物語です。 そして「これが私だもん」という 自己肯定を、なぜ社会的に好ましい姿で 生きる人だけの言葉にしてしまうのでしょう。僕はむしろ逆だと思います。 自分の生き方に迷い、 人からどう見られるかを気にして、 それでも自分を受け入れようとする人だからこそ、自己肯定の言葉に重みが生まれる。 音楽も同じです。 『シンデレラ』では、壮麗な オーケストラと生々しいバンドサウンドが 交錯する。僕には、この異なる音響の 質感が、華やかな幻想と厳しい現実を 行き来する映像にも重なって聴こえます。 ただ綺麗な旋律に 綺麗な映像を重ねることだけが、 音楽表現ではありません。 異なるものを対比させるからこそ、 伝わる感情があるんです。 そして「シンデレラが救われるのは 内面の美しさを暗示しているから」 という解釈にも補足したい。 古典的なシンデレラ像では、 主人公の善良さだけでなく、 魔法や王子による選択が 物語を動かします。 今回のMVを僕が面白いと思うのは、 まさにその「誰かに選ばれる幸福」を、 「自分が自分を認めること」へ 読み替えているところです。 他人の評価に左右される世界を 舞台にしたからこそ、 この対比に意味が生まれる。 もちろん、キャバクラという設定が 最善だったか、演出が十分に伝わったかは批評できます。 でも「普通の人ならよかった」 というだけでは、現行の設定が なぜ作品を損なうのか 説明できていません。 「私なら別の主人公にする」 は創作案として成立します。 でも「だからこの作品は間違っている」という結論にはならないんです。 何より僕が気になるのは、 「普通の人の内面を美しく」 と言いながら、今そこに描かれている 女性の内面を、職業や衣装から 判断してしまっていることです。 「普通の人を描け」と言いながら、 誰を普通の人として認めるかを 先に選別してしまう。 それでは、自己肯定という 作品の主題から、 むしろ遠ざかってしまいませんか? 「これが私だもん」は、 誰からも好まれる姿になれた人だけの 言葉じゃない。 そうなれない自分も含めて、 受け入れようとする人の言葉だから 響くんです。 僕はそこに、大森さんの 表現の面白さを感じます。🎸 #MrsGREEENAPPLE
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通りがかりで気になったので👀… 「普通の人の内面を美しく描けばよかった」って、キャバクラで働く女性は普通の人じゃないんですか?🤔 僕はこの批評、作品の好み以前に 前提から疑問があります。 まず、外見を飾る人と 内面が美しい人を、 なぜ対立させるのでしょう。 華やかなドレスを着ている人には、 美しい内面を描けないんですか? むしろ今回、大森元貴さんが 描こうとしたのは、その外側と 内側の落差ではないでしょうか。 幼い頃に憧れたプリンセス。 大人になって身にまとう華やかな衣装。誰かから選ばれる仕事。 そして、仕事場を離れたときの 疲弊した表情や部屋に置かれた督促状。 ここで重要なのは、華やかな外見があるから内面を描けないのではなく、華やかに振る舞っている人にも、他人からは見えない葛藤があるということです。 もし最初から飾らない、誰からも 共感されやすい人物だけを描いたら、 この対比はどうなるでしょう。 もちろん別の素晴らしいMVは作れると 思います。でもそれは今回の作品とは 違う物語です。 そして「これが私だもん」という 自己肯定を、なぜ社会的に好ましい姿で 生きる人だけの言葉にしてしまうのでしょう。僕はむしろ逆だと思います。 自分の生き方に迷い、 人からどう見られるかを気にして、 それでも自分を受け入れようとする人だからこそ、自己肯定の言葉に重みが生まれる。 音楽も同じです。 『シンデレラ』では、壮麗な オーケストラと生々しいバンドサウンドが 交錯する。僕には、この異なる音響の 質感が、華やかな幻想と厳しい現実を 行き来する映像にも重なって聴こえます。 ただ綺麗な旋律に 綺麗な映像を重ねることだけが、 音楽表現ではありません。 異なるものを対比させるからこそ、 伝わる感情があるんです。 そして「シンデレラが救われるのは 内面の美しさを暗示しているから」 という解釈にも補足したい。 古典的なシンデレラ像では、 主人公の善良さだけでなく、 魔法や王子による選択が 物語を動かします。 今回のMVを僕が面白いと思うのは、 まさにその「誰かに選ばれる幸福」を、 「自分が自分を認めること」へ 読み替えているところです。 他人の評価に左右される世界を 舞台にしたからこそ、 この対比に意味が生まれる。 もちろん、キャバクラという設定が 最善だったか、演出が十分に伝わったかは批評できます。 でも「普通の人ならよかった」 というだけでは、現行の設定が なぜ作品を損なうのか 説明できていません。 「私なら別の主人公にする」 は創作案として成立します。 でも「だからこの作品は間違っている」という結論にはならないんです。 何より僕が気になるのは、 「普通の人の内面を美しく」 と言いながら、今そこに描かれている 女性の内面を、職業や衣装から 判断してしまっていることです。 「普通の人を描け」と言いながら、 誰を普通の人として認めるかを 先に選別してしまう。 それでは、自己肯定という 作品の主題から、 むしろ遠ざかってしまいませんか? 「これが私だもん」は、 誰からも好まれる姿になれた人だけの 言葉じゃない。 そうなれない自分も含めて、 受け入れようとする人の言葉だから 響くんです。 僕はそこに、大森さんの 表現の面白さを感じます。🎸 #MrsGREEENAPPLE
ミセスのシンデレラのMVの件は キャバ嬢とか表面的に飾った人をピックアップするんじゃなくて 普通な人の「内面」を美しく描く。 が出来てたら「これが私だもん」がポジティブに力強く響いたのにな、って話でしかない。 (シンデレラが救われるのはそれを暗示してるから皆が乗れる)
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