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路面電車なのに郊外へ行くと単線になったり、道路端を未舗装で走ったり、通票交換したり。
その昔は鉄道へ乗り入れて貨物列車と交換したり、3両まで連結運転したり。
トンネル抜けて海沿い走って。
そんな所で生まれ育ったから大抵のことでは驚かない😆
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#わかる人にはわかる
数ある“ミニ周遊券”の中で、恐らく一番使い辛かったのが…
『松山・高知ミニ周遊券』
【自由周遊区間】
鉄道線が計60.4kmしか無く、
予讃線17.5kmと土讃線42.9kmが大きく離れている上…
バス路線は高知~松山間だけでも約130kmもあり、実に特徴的な自由周遊区間でした🚌🎵🚞💦
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【名鉄5300系 在りし日の本線普通運用】
機器流用車ならではの
重厚なモーター音を聴いて欲しい. 耳が幸せ…
眺望性抜群の 超デカい前面窓を備え
おまけに乗客向けの速度計まで付いている.
こんな普通列車なら通勤通学毎日乗っても良い…
そう思いませんか?
(2019年3月撮影) #名鉄
明日までですが限定配信中🎞️
『車掌物語 旅は道づれ』4K版(1962)<10/15~11/3配信中> youtu.be/h52iQw7p30U?si=0tE0… @YouTubeより
小沢昭一さん扮する専務車掌さんが良い味してます😌
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【交流では本気を出さない機関車】EF30形、関門だけに特化した異例の設計
同じ機関車なのに、走る場所によって出せる力が大きく変わる。
しかも故障でもなければ、性能不足でもありません。
最初からそう造られていたんです。
今回ご紹介するのは、国鉄EF30形。
関門海峡の下を抜ける鉄道トンネルで活躍した、銀色の電気機関車です。
あのステンレスの車体も独特ですが、
実は中身のほうがもっと変わっています。
1961年、九州の鹿児島本線で交流電化が始まりました。
ところが、海を隔てた本州側の山陽本線は直流1500V。
九州側は交流20000Vです。
電車に詳しい方なら、この時点で問題が見えてきますよね。
それまで関門トンネルを担当していたEF10形は直流専用。
門司駅構内が交流化されれば、
そのままでは本州から列車を牽いて入れなくなります。
そこで登場したのが、
直流と交流の両方で走れるEF30形でした。
直流なら架線から取り込んだ電気を使って走れますが、
交流ではそのまま直流用の主電動機を動かせません。
変圧器で電圧を下げ、
整流器で直流に変える装置が必要です。
二つの電源を扱うだけでも、機関車の中身は複雑になります。
試作1号機は1960年に完成。
1961年から量産機が投入され、関門を行き交う客車列車や貨物列車を引き受けることになります。
さて、ここからが面白いところ。
EF30形の試作1号機は、
直流での1時間定格出力が1800kW。
それに対して、交流では346kWしかありません。
同じ車体、同じモーターなのに、
交流側の出力は直流側の約5分の1。
交直流両用なのに、ずいぶん極端な設計ですよね。
でも、これには明確な理由がありました。
EF30形が本気で力を出さなければならないのは、
関門トンネルの中。
そこは直流電化のままだったのです。
海底へ下り、再び陸地へ登るトンネルには22‰の勾配があります。1000m進む間に22mの高さを上り下りする計算で、
重い貨物列車には厳しい条件です。
開発時には、2両のEF30形で1200tの貨物列車を牽き、
勾配の途中から再び発車できることまで求められました。
一方、交流で走るのは主に門司駅構内の短い区間。
そこで長距離を高速走行するわけではありません。
電源が切り替わるのは、門司駅の下関寄り。
架線の電気を切った区間を惰行で通り、車上の装置を切り替えて走ります。
運転士にとっては、
いつもの短い区間でも気の抜けない作業でした。
ならば交流用の機器を必要最小限にして、
重量を抑えたほうがいい。
つまりEF30形は、交流で手を抜いたのではなく、直流で必要な仕事をするために、あえて交流側を割り切った機関車だったんです。
その割り切りは、走り装置にも表れています。
EF30形は車輪を動かす軸が6本あるF級機ですが、
主電動機は3基だけ。3つの台車にそれぞれ1基のモーターを載せ、1基で2軸を駆動しました。
交直流両用の装置を積みながら、
機関車を重くしすぎないための工夫です。
さらに、銀色の車体にもきちんと意味があります。
関門トンネルでは塩分を含んだ漏水による腐食が問題でした。そこでEF30形は、錆びに強いステンレス製の外板を採用。
塩害への対策は車体だけではありません。
屋根上の機器などにもステンレスを使い、厳しい環境での保守を考えた造りになっていました。
量産機の側面に刻まれた波形のコルゲートも、
車体の強度を確保するためのものです。
ちなみに試作1号機にはこの波形がなく、すっきりした外観。
見比べると同じEF30形でも、ずいぶん印象が違います。
仕事場が特殊なら、機関車の姿も特殊になる。
EF30形はまさにそんな車両でした。
寝台特急をはじめとする旅客列車では1両で、重量のある貨物列車では重連でも活躍。
東京から長い距離を走ってきた列車も、下関でEF30形に牽引機を交代し、海峡を越えて門司へ。
そこで再び九州側の機関車へ引き継がれました。
関門トンネルが開通した1942年以来、ここは本州と九州をつなぐ鉄道の要所。
EF30形はその重要な区間を、来る日も来る日も往復していたのです。
走る区間は短くても、本州と九州を結ぶには欠かせない存在だったわけです。
やがて後継のEF81形が増え、EF30形は1987年3月に引退しました。
1961年の本格投入から、およそ25年。
現在も試作1号機は門司の和布刈公園に、
20号機は碓氷峠鉄道文化むらに保存されています。
交流でも直流でも同じ力を出せることが、必ずしも正解とは限らない。
必要な場所で、必要な力を出す。
そのために余計なものを持たない。
EF30形を見ていると、何でもできる万能機より、一つの仕事を突き詰めた機関車の面白さを感じます。
あの銀色の車体は、関門のために生まれた証だったんですね。
(マイミー)
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近年の下灘駅の観光地化は、凄まじいですよね🚞💦
写真は、まだタブレットを使って列車交換を行い、極めてごく一部の鉄道ファンぐらいでしか話題にもならず、静かでのんびりとした時間が流れていた頃の #下灘駅
1985年8月25日
あの頃からの古参の下灘駅愛好家としては、余りの変化に戸惑うばかり…
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高松の航送桟橋
今回の一連の四国シリーズのネガには、結局連絡船関係は全く写っていませんでした。(当時の自分の認識が窺えます(泣))
辛うじて桟橋が写り込んでいるこのコマで、取り敢えずの締め括りとさせて頂きます。
長らくのお付き合い、有難うございました♪
1976年4月撮影



















































