へええええええ、皮が山椒の香り!
岡山の県北にある清流の集落で、子供の頃(終戦直後)までふつうにオオサンショウウオを食べていたというお婆さん(85)の話を聞いて感激していた。オオサンショウウオは1952年に特別天然記念物に指定され、現在捕獲や採取はもちろん食べるのも禁止である。しかしそれまでは中国山地、特に岡山県北部や鳥取・島根県境一帯の山里では貴重なタンパク源として地元の人たちはふつうに口にしていたとは聞いていたが、実際にそういう人にようやく出会えた。
お婆さんによれば味は海の魚のコチのような淡白な白身魚みたいでクセもなくかなり美味しかったそうで、この地域では皮を剥いて煮付や味噌汁の具にしてよく食べたそうである。また別の家庭では藁に包んで蒸し焼きにしたりする食べ方もあったという。そして淡白な味に対して皮には強い香りがあり、それが本当に山椒の香りがして子供心に「だから山椒魚なのか」と思ったそうな。皮はヌメリがとてもあるのでカボチャの葉をあてがって剥いだ。カボチャの葉にはトゲがあるのでそれが引っかかって剥ぎやすくなったとか。
お婆さんの場合、子供のころは病気がちで肉は滋養があるからと祖母がよくオオサンショウウオを食べさせてくれたそうだ。結核性肋膜炎にかかったことがあり、そのときは誰ともなく「精がつくから」とオオサンショウウオの生き血をとって飲まされたとか…(スッポンかよ)(動画参照)
いい話を聞けた…大変感謝。これだから旅はやめらんねェんだフホホホ
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自分から他人の境界を越えて口説いておきながら、拒絶された瞬間に「客」という優位な立場へ逃げ込み、相手を断罪する――「オジアタック」が忌み嫌われる理由は、この「最近の接客業ってこんなもんなの??」という一言に凝縮されている。
問題は、店員に連絡先を渡したことでも、「脈アリ」と勘違いしたことでもない。
自分から「店員と客」という境界を越えて、私人として相手を口説いた。それなのに拒絶された途端、
「俺は客、お前は店員」
に戻る。
口説くときだけ対等。
振られたら客。
このポジションチェンジこそ、オジアタック特有の卑劣さだ。
自分には、勤務中で逃げにくい相手へ突然連絡先を渡す自由がある。
一方、相手には「自分を傷つけず、恥をかかせず、感じ悪くもならず、誤解もさせないよう上手に断る義務」があると考える。
笑顔で受け取れば「脈アリ」。
その場で断れば「感じ悪い」。
後で処分すれば「人の好意を踏みにじった」。
つまり最初から、拒絶する側に正解などない。
唯一の正解は「俺の好意を喜んで受け入れること」だ。
「人の好意を踏みにじって」という言葉も象徴的だ。
好意を差し出した瞬間、相手に何らかの債務が発生したことになっている。
ちゃんと喜べ。
ちゃんと受け取れ。
ちゃんと断れ。
俺を傷つけるな。
頼まれてもいない好意を一方的に差し出した側が、受け取り方まで指定する。
そして期待どおりに扱われなければ、自分が「傷つけられた側」に回る。
ここでいう「オジ」は、単なる年齢や性別ではない。この振る舞いの様式を指している。
「客」「年長者」「先輩」「上司」「金を払う側」「評価する側」といったポジションに慣れ、その非対称性を親密圏にまで持ち込む。
自分が欲望し、距離を詰めるときには「一人の男」として対等な自由を要求する。
ところが拒絶されると、相手の自由はそのままでは認めず、「客」「年長者」「評価する側」という安全圏へ戻って拒絶の仕方を採点する。
自分の欲望には自由を。
相手の拒絶には礼儀を。
しかも、その「礼儀」の基準を決めるのも自分だ。
オジアタックが嫌われるのは、年上が年下を好きになるからではない。
この卑劣、愚劣が嫌われている。
まあ、本人は、永遠に自覚できないだろうがね。






