しょーもなさすぎる。初手から決めつけすぎてる。
ある男性ミュージシャンの新たに妻になった女性が、「心優しくて男気のある人」と評していて、
心優しい人は、男性に我が子がいるのに、娘でもおかしくないほどの年齢差の女性と再婚しないだろうし、
心優しい人は、我が子の幼児期に、コロナ禍で若い女性を呼び出したりはしないだろうし、
男気のある人は、「結婚することになりました」(決断ではなくまるで自然現象)ではなく「結婚いたしました」と報告するだろうし、
心優しい人は、これまでの家族を慮って、「50年生きてきて、こんな良い出会いがあるんだなぁとしみじみ」とは、思っていても公言しないだろう、と思ったのでした。
その言葉を我が子が目にする可能性が、十分にあるからです。
父親が、まだ子どもである自分よりも、ある女性との出会いをより幸福に思っている、と世間に堂々と発信する残酷さ。
例えばわたしには子どもがいますが、間違いなくわたしにとって最大の「良い出会い」は、子どもたちという二人の他者です。
子どもたちが、親よりも大切だと感じる誰かに出会うその日まで(そういう日がくることをわたしは願います。親なしで生きていけるようにしてやることがある意味では子育てのゴールでしょう)わたしは子どもから何度「誰が一番好き?」と聞かれても「あなただよ」と答えつづけるでしょう。それが親の仕事だと思っています。
心優しい人は、妻が出産育児に忙殺されていた時期に新しい妻に「一聴惚れ」していたとはいいません。
もしそうだとしても、それを表には出しません。
「ウェディングハイ」や「幸せそう」というファンの声も多いものの、彼のnoteは、つじつまのあわないところにあらかじめ予防線をいくつも張った文章に見えてしまい、無自覚に後ろ暗さがあるのではと、感じました(女性の側に対してはまったくなにも感じません。どうかお幸せにと思います)。
気になる点はもうひとつあります。
彼女が「スコアの浄書や手直し」を手伝っていたとあり、それはクラシックの教育を受けた彼女の尽力があってこその、交響楽の仕事だったということではありませんか。
しかし作品名は彼の名義になります。
これは長い歴史の中でくりかえされてきた、女性の業績や尽力があっても男性の功績としてクレジットされる類型ではありませんか。
文芸でも絵画でも音楽でもよく見られてきた搾取です。
クラシック音楽でも西洋近代絵画でもポップミュージックでも小説でも、大家の作品の陰に、妻や愛人や恋人や姉の莫大で献身的な作業があったという事例はたくさんあります。
またこのような読まれ方をするnoteがオフィシャルに出る、つまりこのような指摘をする人が誰も周囲にいないのだ、という点も気になりました。
これらが杞憂であり邪推であることを願います。彼女と、お子さんのお幸せを願います。
mogamy retweeted
As many have noted, this was almost certainly after last orders, not racism, but it’s amazing how far daft Reddit tropes have permeated public consciousness. Next, someone will have not sat next to him on the train and he’ll experience the modern apartheid that is being asked for his ID at a hotel.
実際に何が起きたかは知らんけど、日本の小さなバーは一見さんお断りみたいな店が多くて、日本人でもふらっと入ることは珍しいし、断られる可能性は全然ある。そういう場に空気読まずに入ろうとするかは性格によるのでコメ欄でも「そんな経験ない」という人が多いのだろうと思う。
それは、基本的にはメディアで日本を扱う場合に長年正確さがあまり求められてこなかったことの帰結だと思います。リベラルか保守かに関わらず。つまりある国に関して妄想的な記事を書いても許される場合、それは単純化(悪魔化or美化)してもいいと言うことになるので、自然と二極化していきます。









