父・中村富十郎への思いを胸に
【壱ろはの会】 ※拡散希望
中村鷹之資さんの妹で、日本舞踊家の芳澤壱ろはさんが、11月15日(日)、渋谷のセルリアンタワー能楽堂で第三回「壱ろはの会」を開催されます
今回、私が特に注目するのは『静と知盛』です
ご存じの方も多いと思いますが、壱ろはさんのお父上、故・中村富十郎さんにとって『船弁慶』は当たり役の一つでした
『静と知盛』は、その『船弁慶』のうち、シテである静御前と平知盛に焦点を当てた舞踊作品。静の優美さと、知盛の凄絶さ。対照的な二つの役を踊り分ける、見応えのある演目です
今回の会について、壱ろはさんご本人から、
こんな言葉をいただきました
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「今回は、
やはり父の『船弁慶』への思いあって、
私は日本舞踊で『静と知盛』に挑みます。
特別な思い入れのある作品です。
ぜひご覧いただきたいと思います。」
-------
父の芸への思いを胸に、娘が自らの舞台で『静と知盛』に挑む。そこにどんな踊りが生まれるのか…
壱ろはさんの言葉に、期待というだけでは言い表せない、胸の奥がキュッとなるような覚悟を感じました
若い芸術家が、自らの芸を磨き、成長していく姿に立ち会えるのは、歌舞伎を観る楽しみの一つです。そして、日本舞踊にもまた、同じ喜びがあります
ぜひ、若き壱ろはさんの挑戦を一緒に見届けませんか?
※私は昼夜とも、伺います
なお、昼の部は残席わずか、
夜の部は比較的お席が取りやすいそうです
全席指定 10,000円
学生席 4,500円
★チケットのお問い合わせはこちらから★
tennoujiya.com/#contact
【第三回壱ろはの会】
令和8年11月15日(日)
昼の部12:00/夜の部16:30開演
セルリアンタワー能楽堂
一、大和楽 たけくらべ
一、東明 野狐禅
一、長唄 静と知盛
#芳澤壱ろは #壱ろはの会 #中村富十郎 #静と知盛
どうでもいい話
ぼんやりしているせいか、私って時々配役妄想とか書いてる時に、いつのまにか表記がこんな感じになることがあるんですよ😅
↓
勘九郎 助六
七之助 揚巻
白玉 芝のぶ
芝翫 意休
くわんぺら 橋之助
元・大向うの堀越さん retweeted
満員御礼🈵
11月4日
市川九團次丈をお迎えいたします。
聞き手は、関容子さん
銀座 萬年堂
銀座7丁目13ー21
18時半〜
受付18時〜
よろしくお願い申し上げます。
一月歌舞伎座の「お祭り」は、芸者も出るし“待ってました”があるかどうか、ちといまの段階ではわかりませんねぇ…
むかしコロナの時に中村屋が配信でした時は勘九郎さんの頭と、七之助さんの芸者で「待ってました!」ありだったし、そのバージョンなら、って感じですね
「お祭り」ってけっこう柔軟性がある演目なので幕が開くまではなんとも言えないというのが正直なところです
「待ってました!」のあとの科白もお家で違ったりしますからね。
中村屋はいきなり「待っていたたぁありがてぇ」と受け取るし
別パターンでは「なんだ待っていた? 待っていたとはありがてぇ」となることもあるし
女方さんの「なんだ待っていた? 待っていたとはありがたいねぇ」なんてバージョンもあります
なんか宣伝(というか自慢)になりますが、あのコロナ禍で実施された浅草公会堂からの中村屋生配信での「待ってました!」を含む大向うが私の声です
誰もいない浅草公会堂の二階席から─それでもマウスガード装着して─やらせてもらったのも、いまから振り返れば良き思い出です
あのとき一番嬉しかったのは、距離を取る必要あったので一階席から舞台上のお二人と打ち合わせのときで
「どうしましょうか?」
「いつも通りでいいですよ」
と、全面的に信じて任せて頂けた時、というのを書きながら思い出しました
※なお、あの時の他の声は浅草の手拭い屋「藤屋」の旦那をはじめとした浅草商店会の重鎮さまで、中村屋と浅草の絆を感じたものでした
山田洋次監督版「文七元結」を苦手だと書いてしまったので、理由も記述します(共感が得られると思ってるわけではありません)
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①-1「無知で、貧乏で、ダメな人間にこそ聖なるものが宿る」一方で「知識階級や富裕な商人など、持てる者は穢れている」という思想が苦手。
それは「持っている側」の幻想だからです。そんなに憧れがあるなら全てを捨てれば良いのに、そんなことは決してしない(ように見える)。
私には、都会の人間が「田舎暮らしっていいよね」と数日だけ農村体験してるのと同じ構造にしか見えないのです。結局都会の山の手の家に帰るんだよね?と
①-2 上記のための改変
→長兵衛さんが、幕切れ近くに和泉屋清兵衛がおりいって話があると話しかけているのに、それを無視するような人間に変更されている
→お兼に「(あんたは)首くくりがありゃ足を引っ張る人だ」と言わせている
→和泉屋清兵衛に「私たち商人は人助けなんて考えない」的な科白を言わせている
→和泉屋清兵衛が長兵衛さんの勘違いにキレ散らかすような人物に改変している
------
②役者の演技を信じておらず、また観客の理解力を信じていない(易しくした、という意識なのは分かってはますけどね)
→結果、天下の名優・七代目中村芝翫に極端に説明的な科白を言わせている。そんなことしなくても、十分に思いを通す力を持った方に、あまりに失礼で絶望させられた
以上、大きく括ると二点がもうまるで受け入れられない理由です。
特に①については作品の本質が歪められていると私は感じますし、まぁ二度と見たくないですね。
Replying to @ex_omuko
私、苦手な舞台ってほとんどないですし、新演出もそれはそれで、と割り切って楽しめる方だとは思うのですが…
不思議なくらい「山田洋次監督版 文七元結(獅童さんと寺島しのぶさんのバージョンではなく)」が苦手でして
それはおそらく作品の本質が歪められているからかな、と思っております
あれが「勘三郎の文七元結」として映像に残っているのが、正直、ほんとうに悔しいです
染五郎 弁慶
團子 富樫
辰之助 義経
の配役で
「勧進帳」出してくれてもいいんですよ
そして
時蔵 かさね
福之助 与右衛門
で「かさね」とかね
【#日生劇場】「#日生劇場四月陽春歌舞伎」
//
日生劇場 四月陽春歌舞伎の出演者が決定いたしました🌸
\\
公演情報はこちら▶️ kabuki-bito.jp/theaters/othe…
チケットは令和9年2月21日(日)10時より発売開始予定🎫
4月7日(水)初日~25日(日)千穐楽🌸
中村座後半でおつらそうに見えていたので心配です
ただの風邪かと思っていたのだけど…しっかり休んで、万全の回復となることをお祈りします
◆ニュースを掲載しました◆
歌舞伎座「吉例顔見世大歌舞伎」、中村歌女之丞 休演のお詫び
kabuki-bito.jp/news/10316
もうどう考えても財布が追いつかないわ…
でも
楽しみな座組!何をやるのかなぁ…
【#日生劇場】「#日生劇場四月陽春歌舞伎」
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日生劇場 四月陽春歌舞伎の出演者が決定いたしました🌸
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公演情報はこちら▶️ kabuki-bito.jp/theaters/othe…
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4月7日(水)初日~25日(日)千穐楽🌸
元・大向うの堀越さん retweeted
【#日生劇場】「#日生劇場四月陽春歌舞伎」
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日生劇場 四月陽春歌舞伎の出演者が決定いたしました🌸
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公演情報はこちら▶️ kabuki-bito.jp/theaters/othe…
チケットは令和9年2月21日(日)10時より発売開始予定🎫
4月7日(水)初日~25日(日)千穐楽🌸
逆さ屏風ネタで思い出したので、こちらも書いておきます。
『実盛物語』で、九郎助はなぜ井戸に向かって小万の名を呼ぶのでしょうか
このとき、小万の父親である九郎助は、娘の遺体に向かってではなく、わざわざ井戸のところへ行き、その底に向かって小万の名前を呼びます
日本には古くから「井戸はこの世とあの世をつなぐ通路である」という民間信仰があったといいますよね
また、人が亡くなった際、肉体から離れていく魂を呼び戻そうと、死者の名前を大声で呼ぶ「魂呼び(たまよび)」という習俗もあったとか
九郎助が井戸に向かって小万の名を呼ぶのも、こうした習俗を踏まえた演出と考えられます
ちなみに、川もまた、この世とあの世を隔てる境界と考えられてきました。三途の川などは、その代表例でしょう
昔の人々にとって、あの世は遠く隔たった場所であると同時に、井戸や川といった身近な場所を通じて、この世とつながっている世界でもあったのかもしれません
歌舞伎の何気ない所作にも、こうした古い日本人の死生観が息づいているのだと思うと、なかなか興味深いなぁ…と思うんですよね
「仮名手本忠臣蔵」の六段目なんて、勘平はあんなに追い詰められているのに、それでも屏風を逆さにしますから、かなり厳格にというか、もう暮らしの中に根付いていた習俗なのだろうと思います
歌舞伎を見ていると、人が亡くなると枕元で屏風を逆さにし直す場面がよく見られますよね
死者を囲む屏風は、なぜ逆さまにするのでしょうか
調べてみると、古くから日本には「死者の世界は、生者の世界とは反対になっている」という考え方があったようです
葬儀の際、死者の着物を左前に合わせたり、遺体を清める湯を作る際に水へ湯を注いだりするのも、普段とは反対のことをする「逆さ事」という習俗の一つです
つまり、屏風を逆さにするのも、あちらの世界の秩序に合わせる行為だったと考えられます
また、逆さ屏風には魔除けの意味もあり、死者の身体に悪霊が入り込むのを防ぐという言い伝えも各地に残っているそうです
さらに、屏風で死者を囲うこと自体が、この世とあの世の境界を設ける意味を持っていたとも解釈できそうです
もっとも、こうした意味づけには後世の民俗研究による解釈も含まれるので、どこまで江戸の人たちがそれに意識的であったかは検証できていません
それにしても、死者の世界を「この世の秩序が裏返った世界」と捉える発想は、なかなか興味深いなぁ、と思います
歌舞伎を見ていると、人が亡くなると枕元で屏風を逆さにし直す場面がよく見られますよね
死者を囲む屏風は、なぜ逆さまにするのでしょうか
調べてみると、古くから日本には「死者の世界は、生者の世界とは反対になっている」という考え方があったようです
葬儀の際、死者の着物を左前に合わせたり、遺体を清める湯を作る際に水へ湯を注いだりするのも、普段とは反対のことをする「逆さ事」という習俗の一つです
つまり、屏風を逆さにするのも、あちらの世界の秩序に合わせる行為だったと考えられます
また、逆さ屏風には魔除けの意味もあり、死者の身体に悪霊が入り込むのを防ぐという言い伝えも各地に残っているそうです
さらに、屏風で死者を囲うこと自体が、この世とあの世の境界を設ける意味を持っていたとも解釈できそうです
もっとも、こうした意味づけには後世の民俗研究による解釈も含まれるので、どこまで江戸の人たちがそれに意識的であったかは検証できていません
それにしても、死者の世界を「この世の秩序が裏返った世界」と捉える発想は、なかなか興味深いなぁ、と思います








