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仏教を学んでいます。子育て中。時々呟きます。 生きとし生けるものが幸せでありますように Sabbe sattā bhavantu sukhitattā.

Joined November 2019
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日常生活の中では、感情をなくそうとせず、その強さに気づく。そして、問題を解決しようとせず、ただ気づきを保つだけにしておく。注意すべきは、最初は感情の強さを観たり、気づきを保ち続けたりするのが、わざとらしく感じられたり、努力を要したりする事だ。 ウ・テジャニヤ長老
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修行者 日常生活で気づきを継続させるための、正しい心構えがあれば教えて下さい。 長老 不安、焦り、渇望、怒りなどの感情が発生したら、どれほど強いかに注意を向けてみる。また、問題を解決しようとするのではなく、気づこうとしているのだと、自分に言い聞かせる。 ウ・テジャニヤ長老
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「ただローバ(貪)が選んでいるだけ」と気づく事。そこには「私が選んでいる」という思い込みから離れ、心の自然な働きをそのまま見る智慧がある。また、自分の考え方がストレスの原因になっていると気づいても、善悪の判断をせず、自分を変えずに気づき続ける事だ。 ウ・テジャニヤ長老
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修行者 人間関係にストレスを感じていた時は、それが、心が作り出したイメージ、つまり「自分はこうするべきだ」という考えから生じている事に気づきました。 長老 その考えの背後にも執着(貪)や嫌悪(瞋)が働いでいる。真理に気づくと、心は落ち着くわけだ。 ウ・テジャニヤ長老
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修行者 私は格闘技の試合を見る時、外見だけを理由に、どちらの選手を応援するか決めている事に気づきました。ただ心の中の貪欲さが選んでいるだけだったのです。 長老 心の働きを、判断せずに観察すると、それだけで心は落ち着く。その気づきが、智慧をもたらすのだ。 ウ・テジャニヤ長老
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修行者 欲しいものが手に入らない時、望めば望むほど苦しみが強くなります。 長老 苦しみの強さは貪・瞋・痴の煩悩の強さに比例する。だから、苦しみを変えようと頑張るのではなく、苦しみを知る事。その気づき自体が、苦しみに巻き込まれない心のゆとりを生み出す。 ウ・テジャニヤ長老
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煩悩は、それ自体は善でも悪でもなく、ただ自然に生滅しているだけのものだ。智慧があれば煩悩の中にも「私」は存在しない事が見えてくる。だから、煩悩をなくそうとするのではなく、煩悩がどのように生じ、働いているのかを知れば、そこに智慧が育つ機会がある。 ウ・テジャニヤ長老
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修行者 心の中に嫌悪感や憎しみ、恐怖や不安などの感情が発生した時、それらを悪いものと思えば増加しますが、ただの感情と思っていれば消えていきます。 長老 煩悩そのものには何も悪いところはないし、間違いでもない。煩悩は煩悩としての働きをしているだけだ。 ウ・テジャニヤ長老
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私たちは通常、物事を見たり聞いたりすると、それを「良いか悪いか」と判断し、思考によって「私」が体験した事と解釈している。しかし、その一連のプロセスをバラバラに観ていくと、そこには体験する「私」はいない事がわかる。連続性が「私」を感じさせているのだ。 ウ・テジャニヤ長老
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修行者 「私」はいないとは、どういう意味ですか? 長老 通常、人々は「私」という感覚を感じ、何をするにも「私」が行うと思っている。しかし、心の働きを繰り返し観察すると、心を操作する者は誰もおらず、心の機能がそれ自体で働いているだけである事がわかってくる。 ウ・テジャニヤ長老
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”だから少しでも瞑想して安らぐ、自分の心にかえる。今どんな感じか、今ここであるがままに出会う。瞑想をコンスタントにやることで、心を見て心に触れることに慣れていく。”
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「今この瞬間は過去の結果であり、それはまた未来の原因でもあるのです。 私たちがまさに今ここにこうして座っていることも過去においてしてきたことの結果です。そして私たちが今行っていることは未来において私たちが経験することの原因となるのです。」 アチャン・チャー『無常の教え』より
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修行者 気づいて何かいい事がありますか? 長老 気づきがある状態と、ない状態の違いをはっきりと見る事だ。例えば、気づきがなければ「私は正しく賢く美しい」という煩悩の錯覚に気づかないまま、勘違いして人生を突っ走るが、気づきがあれば現実を知り、正しく生きる。 ウ・テジャニヤ長老
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多くの修行者は、煩悩のエネルギーを気づきの力に変えられる事に気づかず、煩悩と格闘している。しかし、実際には心に何もない時より、嫌な気分の時の方がずっと気づきを継続させられる。それは煩悩の強いエネルギーは、気づきを支える力として利用できるからだ。 ウ・テジャニヤ長老
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修行者 煩悩を気づきに変える方法を教えて下さい。 長老 煩悩をなくそうと闘うのではなく、煩悩が生み出すエネルギーを、心に気づくために利用する。例えば、心に不安や怒り、うつなどがある時、それらを排除しようとするのではなく、気づきを育てる機会にしてしまう。 ウ・テジャニヤ長老
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例えば、宿題をする気になれない時、好きな音楽を聴いて、宿題に取りかかるための勢いをつける事ができる。つまり貪欲さのエネルギーを利用して、心を集中させる事ができるのだ。貪欲、怒り、愚かさのエネルギーがわかれば、それらを瞑想修行に利用する事もできる。 ウ・テジャニヤ長老
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修行者 気づくのが楽しくなって継続させるのは、貪欲さだと思うのですが? 長老 善心も不善心も中性的な心も、全ての心はエネルギー(ヴィリヤ/精進)によって働いている。それがわかれば、煩悩が生み出す強いエネルギーを、気づきと智慧へと転換する事ができる。 ウ・テジャニヤ長老
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修行者 悲しみを観ていたら、更に悲しくなりました。 長老 悲しみが発生した時に、「悲しみ」という概念の方に注意を向けると、更に感情が生じてしまう。しかし、感情は条件により生じては滅しているだけのエネルギーなので、エネルギーそのものを観れば、消えていく。 ウ・テジャニヤ長老
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