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日常生活の中では、感情をなくそうとせず、その強さに気づく。そして、問題を解決しようとせず、ただ気づきを保つだけにしておく。注意すべきは、最初は感情の強さを観たり、気づきを保ち続けたりするのが、わざとらしく感じられたり、努力を要したりする事だ。
ウ・テジャニヤ長老
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修行者
日常生活で気づきを継続させるための、正しい心構えがあれば教えて下さい。
長老
不安、焦り、渇望、怒りなどの感情が発生したら、どれほど強いかに注意を向けてみる。また、問題を解決しようとするのではなく、気づこうとしているのだと、自分に言い聞かせる。
ウ・テジャニヤ長老
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「ただローバ(貪)が選んでいるだけ」と気づく事。そこには「私が選んでいる」という思い込みから離れ、心の自然な働きをそのまま見る智慧がある。また、自分の考え方がストレスの原因になっていると気づいても、善悪の判断をせず、自分を変えずに気づき続ける事だ。
ウ・テジャニヤ長老
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修行者
人間関係にストレスを感じていた時は、それが、心が作り出したイメージ、つまり「自分はこうするべきだ」という考えから生じている事に気づきました。
長老
その考えの背後にも執着(貪)や嫌悪(瞋)が働いでいる。真理に気づくと、心は落ち着くわけだ。
ウ・テジャニヤ長老
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修行者
私は格闘技の試合を見る時、外見だけを理由に、どちらの選手を応援するか決めている事に気づきました。ただ心の中の貪欲さが選んでいるだけだったのです。
長老
心の働きを、判断せずに観察すると、それだけで心は落ち着く。その気づきが、智慧をもたらすのだ。
ウ・テジャニヤ長老
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修行者
欲しいものが手に入らない時、望めば望むほど苦しみが強くなります。
長老
苦しみの強さは貪・瞋・痴の煩悩の強さに比例する。だから、苦しみを変えようと頑張るのではなく、苦しみを知る事。その気づき自体が、苦しみに巻き込まれない心のゆとりを生み出す。
ウ・テジャニヤ長老
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煩悩は、それ自体は善でも悪でもなく、ただ自然に生滅しているだけのものだ。智慧があれば煩悩の中にも「私」は存在しない事が見えてくる。だから、煩悩をなくそうとするのではなく、煩悩がどのように生じ、働いているのかを知れば、そこに智慧が育つ機会がある。
ウ・テジャニヤ長老
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修行者
心の中に嫌悪感や憎しみ、恐怖や不安などの感情が発生した時、それらを悪いものと思えば増加しますが、ただの感情と思っていれば消えていきます。
長老
煩悩そのものには何も悪いところはないし、間違いでもない。煩悩は煩悩としての働きをしているだけだ。
ウ・テジャニヤ長老
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私たちは通常、物事を見たり聞いたりすると、それを「良いか悪いか」と判断し、思考によって「私」が体験した事と解釈している。しかし、その一連のプロセスをバラバラに観ていくと、そこには体験する「私」はいない事がわかる。連続性が「私」を感じさせているのだ。
ウ・テジャニヤ長老
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修行者
「私」はいないとは、どういう意味ですか?
長老
通常、人々は「私」という感覚を感じ、何をするにも「私」が行うと思っている。しかし、心の働きを繰り返し観察すると、心を操作する者は誰もおらず、心の機能がそれ自体で働いているだけである事がわかってくる。
ウ・テジャニヤ長老
「苦しみあるところ
そこに、タンマはあります。
苦しみに出会ったとしても
嘆き悲しむ必要はありません。
よく観察し、
吟味していきましょう。
そこに苦しみからのたくさんの学びが
あるのですから。」
パイサーン師の説法〜もし知ろうする心があれば、いつでも得ることができる(11終)修行者は、機会を逃さずにいる者|浦崎雅代(Urasaki Masayo) @uramasafaa
note.com/urasakimasayo/n/nce…
パイサーン師の説法〜もし知ろうする心があれば、いつでも得ることができる(11終)修行者は、機会を逃さずにいる者|浦崎雅代(Urasaki Masayo) @uramasafaa
note.com/urasakimasayo/n/nce…
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”だから少しでも瞑想して安らぐ、自分の心にかえる。今どんな感じか、今ここであるがままに出会う。瞑想をコンスタントにやることで、心を見て心に触れることに慣れていく。”
9月のアチャン・ニャーナラトー師の法話と瞑想の会12 - 瞑想以前。 meisousinosan.hatenablog.com…
平気で偏見を持ち差別する人が沢山いる、と思うかもしれません。気付かないでやっているんですね。
そうした気づきを失わないために瞑想する。
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修行者
気づいて何かいい事がありますか?
長老
気づきがある状態と、ない状態の違いをはっきりと見る事だ。例えば、気づきがなければ「私は正しく賢く美しい」という煩悩の錯覚に気づかないまま、勘違いして人生を突っ走るが、気づきがあれば現実を知り、正しく生きる。
ウ・テジャニヤ長老
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多くの修行者は、煩悩のエネルギーを気づきの力に変えられる事に気づかず、煩悩と格闘している。しかし、実際には心に何もない時より、嫌な気分の時の方がずっと気づきを継続させられる。それは煩悩の強いエネルギーは、気づきを支える力として利用できるからだ。
ウ・テジャニヤ長老
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修行者
煩悩を気づきに変える方法を教えて下さい。
長老
煩悩をなくそうと闘うのではなく、煩悩が生み出すエネルギーを、心に気づくために利用する。例えば、心に不安や怒り、うつなどがある時、それらを排除しようとするのではなく、気づきを育てる機会にしてしまう。
ウ・テジャニヤ長老
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例えば、宿題をする気になれない時、好きな音楽を聴いて、宿題に取りかかるための勢いをつける事ができる。つまり貪欲さのエネルギーを利用して、心を集中させる事ができるのだ。貪欲、怒り、愚かさのエネルギーがわかれば、それらを瞑想修行に利用する事もできる。
ウ・テジャニヤ長老
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修行者
気づくのが楽しくなって継続させるのは、貪欲さだと思うのですが?
長老
善心も不善心も中性的な心も、全ての心はエネルギー(ヴィリヤ/精進)によって働いている。それがわかれば、煩悩が生み出す強いエネルギーを、気づきと智慧へと転換する事ができる。
ウ・テジャニヤ長老




