新潟 登喜和鮨
日比谷ミッドタウンrokuで開催された伝説の一夜
クロモリ× 登喜和鮨
の伝説的な1日
以来
南麻布の会員制レストラン
鮨にぎりでポップアップされるとのことで久しぶりに訪問
1954年創業
現在は3代目
新潟の食材を中心とした魚を
独自の仕事で新潟の米を使った素晴らしい塩梅の酢飯
とあわせ昇華させる技術は全国屈指
当店のために新潟に行く価値があると感じた
お粥から始まり
梭子魚
南蛮海老
バイ貝
モズクガニ
マハタ
レンコン
鰤は背と腹を合わせて
血合いと脂の感じがすばらしい
佐渡の食材が多く見受けられたがどれも東京では食べられないものばかりで嬉しく思う
そしてシグネチャーとも言える
イクラを加熱調理したととまめ
かきのもとよばれる菊
を最後に追加で巻物にしてもらい大満足だった
東京の魚真で一緒に修行していたくろ﨑の親方とは今でも懇意とのこと
また素晴らしい酢飯とここでしか食べれない魚や野菜を食しに今度は新潟に足を運びたい。
新潟の食も新潟の女も1ミリも隙がない。
一貫で、舌の記憶を塗り替える。
日本橋川口へ。
酸味が走り米の甘みが追いかける、食べ手の欲を静かに、しかし容赦なく焚きつける力がある。
すきやばし次郎本店で研鑽を積み、2025年の開業以来、たちまち予約困難店となった一軒だ。
川口親方の酢飯は、すきやばし次郎本店の系譜に最も近いと感じる、米酢と砂糖を用いた仕立て。酸味は強く、輪郭は鋭く、ひと口ごとにキリッと冴える。
それでいて、噛みしめるほどに米の甘みがじわりと顔を出す。これを書いている今も咀嚼中に広がる酸味と米の甘みを思い浮かべただけで唾液が止まらない。完全にドパガキ化してるのだ。
謙虚さのなかに、きちんとエッジの立った客あしらいも見事。気負わせず、けれど鮨への矜持は伝わってくる。その距離感が心地いい。
直の兄弟子にあたる岡崎親方は、もはや達人の域。すきやばし次郎の系譜は、受け継がれるだけではなく、確かな個性をまといながら進化を続けている。
今回は握りのみのコース。
いくら丼に始まり、真鯛、墨烏賊、縞鯵、鱚。赤身、中トロ、小肌、車海老、赤貝、鰹、蛤、雲丹、穴子、そして卵まで。
一貫ごとの味わいに身を委ねていると、川口親方の鮨はアフガキのように頬張りいくらでも食べられてしまう。
この仕事、この内容で価格もリーズナブル。
最高だ。
とんでもない衝撃のカオマンガイにぶち当たってしまった。
これでも東京のストリートを長年サヴァイブしてきた人間だ。
酸いも甘いも噛み分け、歓喜も絶望も味わった。星の数ほどの人間とクロスロードし、握手した手で裏切られた夜もある。
だからもう、涙なんて出ないと思っていた。
ひと通りの景色を見た俺の余生なんて、レンジで温めたことすら忘れられ、食卓の隅で冷え切ったグラタンのように味気ないものだと思っていた。
だが、そんな俺の人生も価値観も胃袋も、根こそぎ転覆させるカオマンガイにぶち当たった。
最初に言っておく。
俺以上にカオマンガイを愛している人間を、日本はおろかタイでも見たことがない。
これは自慢ではない。
もはや病歴だ。
本場タイではバンコクの有名店だけでなく、イサーンやパッタルンをはじめ、タイ全土を食べ歩いた。
油と湯気が路地に溜まり、地図にも載っていない屋台へ足を運び、訪問販売リフォーム業者のようにゲットーの民家を訪ねてレシピを聞き出したこともある。
土地の古参、ローカルのOGと直接交渉しなければ、ひと皿に辿り着けない夜もあった。
รู้แล้วล่ะว่าคนญี่ปุ่นอย่างฉันไม่ควรมาที่นี่
แต่ฉันต้องกินข้าวมันไก่ของที่นี่ให้ได้
อยากยิงก็ยิงเลย
แต่ในโลงศพของฉัน
ช่วยยัดไก่ต้มไว้ให้ด้วยละกัน
(タコゾオ、お前みたいな愚か者は世界中を探してもいないぞ。
命が惜しくないのか?ここはお前みたいなガキが来ていい場所じゃない。次の瞬間、お前の脳みそを壁に散らしてもいいんだぜ。)
(分かっている。俺みたいな日本人が来てはいけない場所だということくらい、最初から分かっている。でも俺は、ここのカオマンガイを食べなければならない。
撃ちたいなら撃てばいい。
ただし俺の棺桶には、花の代わりに蒸し鶏を詰めてくれよな)
そう。
俺にとってカオマンガイは料理ではない。
信仰であり、執念であり、人生の答え合わせだ。
そんな俺が今回、完全に黙らされた。
ここのカオマンガイは、なんと土鍋で炊き立て。
タイのジャスミンライスに黒米を混ぜ込んだ、ライスベリーが使われている。
この米が、とにかくやばい。
ふっくら、もっちり。
そこからプチプチと弾ける黒米の食感が追いかけてくる。
鶏の旨味を吸い込んだ米は、噛むたびに香りが鼻へ抜ける。そして土鍋の底に生まれる、おこげ。香ばしさと旨味が極限まで凝縮された、米のクライマックスだ。
前半で整えられた理性を、最後におこげが鉄パイプで殴りにくる。
使われているのは、銘柄鶏の四万十鶏。
臭みは一切ない。
身はしっとりしているのに、噛めばプリッと押し返してくる。
肉そのものに味があり、濃密な旨味と瑞々しい肉汁があふれる。
椅子に背もたれがなかったら、俺はそのまま後ろへひっくり返り、床がヒタヒタになるまで泣いていたと思う。
タイのストリートフードを、ここまで気高いご馳走へ昇華させたシェフは日本人だ。タイの料理学校で、本場の技術と思想を骨の髄まで学んだらしい。
変に日本人向けへ寄せていない。
かといって、本場をなぞっただけでもない。
タイへの敬意を損なわず、日本人の緻密さで細部を研ぎ澄ませている。
これは模倣ではない。
執念による再構築だ。
ただし、キッチンはワンオペ。
ひとりのシェフが、ひと皿ずつ向き合って作っている。当然、大勢の客を同時に捌くことはできない。
正直に言う。
俺がこの投稿を世に放った瞬間、この世界一のカオマンガイは一気に見つかる。
行列ができ、予約が埋まり、昨日まで静かだった店の前に腹を空かせた亡者が群がる。
だから迷った。
本当に迷った。
頭蓋骨が割れるほど考えた。
いっそ、この感動を忘れたかった。
しかし何度自問自答しても、何人もの行きずりの女をベッドで昇天させても、頭の中からこいつが消えなかった。
脳内の一等地を、このカオマンガイが不法占拠していた。
もはや地上げ屋を呼んでも立ち退かない。
だから決めた。
ここまで読んでくれたあなただけに、この奇跡のカオマンガイの店名を明かそうと思う。
ただし、ごめん。
今この文章を誰かと一緒に読んでいるなら、まだいいねを押さないでほしい。
家族が隣にいるなら、少し待ってほしい。
ひとりになったときでいい。
布団の中でも、トイレの個室でも、日サロのマシンに焼かれている最中でもいい。
誰にも見られない場所で、静かにいいねを押してほしい。
これは単なる店の情報ではない。
まだ世間に見つかっていない聖域の座標だ。
このカオマンガイは、あなたの空腹を満たすだけでは終わらない。
これまで食べてきた記憶を焼き払い、これから食べるカオマンガイの基準まで支配する。
そしてきっと、
あなたの残りの人生に刻まれる、胃袋の黙示録になる。
ちょっと待ってくれ。
たった今しがた、とんでもないメキシカンとぶち当たってしまい公園のベンチで今これを打ってる。
何度も言う。俺は毎年メキシコへ行く。
パーティータウンティファナのストリップで、チップをばら撒き、メキシコシティを徘徊し、グアダラハラで朝を迎える。
カルニータスを頬張り、エンチラーダを流し込み、テキーラとメスカルで夜を畳む。
人も、食い物も、気候も、音楽も、街に滲むヴァイブスも、全部ひっくるめてメキシコという国に惚れ込んでいる。
自他ともに認めるテキーラーの俺にとって、あれ以上に魂が解放される国はない。
そんな俺が、この店の一品目で号泣するとは。入店前は一ミリも想像していなかった。
カウンターに座り、メニューを開いた瞬間に目を疑った。トスターダス、エンチラーダ、カルニータス。メヒコの街角を、そのまま東京へ移植したような布陣だ。
だが、ただ現地っぽいだけじゃない。料理の構成も、見せ方も、酒の選び方も洗練されている。
チーズと肉を雑に積み上げたテックスメックスとは、思想の地盤から違う。そこにあったのは現地への迎合ではなく、理解と敬意だった。
心が踊り出すのを押さえながら、おすすめを片っ端から注文した。
店主は女性。長年、和歌山で人気店を営み、今年5月に東京で新たに店を開いたという。
使っている皿まで完全にメヒコ。
バックバーには、日本ではまず見かけないメスカルやメキシカンウイスキーが並ぶ。
この時点で、もう普通の店ではないと分かっていた。
そして最初に運ばれてきた黒インゲンのチップス。続いて、タコのトスターダス。カルニータス。
一口食べた瞬間だった。
涙腺が決壊した。
東京どころか、日本で食べたことのない現地のアレだった。脳より先に、舌がメキシコを思い出した。
照りつける太陽。屋台から立ち上る煙。酔って歩いた夜の石畳。胸が潰れそうになるほどエモい記憶も、ここには書けないようなストリートトラブルも一気にフラッシュバックした。
涙を悟られないようにテカテをあおり、そのままメスカルを欲した。
イタリアンとピッツェリアが別物であるように、ここは単なるタコス屋ではない。ピュアな現地系だ。
メキシカン=タコス。
そんな浅い認識で止まっている人ほど、一度ここで食べた方がいい。
メキシコ料理は、他のどの国とも似ていない。香り、酸味、辛味、穀物の扱い、酒との距離感。その全部が独立している。
孤高だ。唯一無二だ。
そして、ここまで読んだ勘のいいホーミーなら、もう気付いているかもしれない。
まさかイラマチ男タコ蔵は、この店名すら教えないのではないかと。
、
、
、
そうだよ。
教えないよ。
ワンオペ。席数も多くない。
そしてこのクオリティなら、間違いなくこの先、飛び込みで入れる店ではなくなるから。
何の苦労もなく通えるのは、今だけだから。
俺は一人でこの店へ通いたい。浴びるようにビールとメスカルを飲み、脳内でマリアッチを鳴らしながら、とんでもなく美味いカボチャ種ソースのローストチキンとケサディージャをしゃぶる。そして潰れる。
それを90歳まで繰り返したい。
だから秘密にしたい。
でも、やっぱり。いつも見てくれているホーミーだけには、こっそり耳打ちしたい。この店で肩を組み、メスカルを回しながらサイファーしたい。
いいねが100を超えたら、押してくれた人にだけ店名を教える。
逆に100を超えなかった場合、この投稿は削除する。そして、あなたたちは一生この店へ辿り着けない。
頼む。
いいねを100回も押さないでくれ。
たこぞお retweeted
原田宗典さんに書いてもらったら
いいお話になりそうな
ジェネリック高級寿司の話
試させてもらう٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
まずはお口リセットのため
ノープでゆすいでと(ㆁωㆁ*)👍️
全国の高級鮨店を年間150軒以上食べ歩く私が、たった今有楽町でイかれたライフハックを発見してしまった。
結論から言う。
銀座で3万円払って味わう鮨屋の鮪に近い満足感を、スシローなら470円で体験できる。
今しがた、その禁断の組み合わせを見つけた。
まず大前提として、スシローの鮪は普通にうまい。
この価格帯で、この脂、この口溶け、このクオリティを全国規模で安定供給している店は、世界で一件もないと断言する。
大衆価格の顔をした、異常なまでのハイコストパフォーマンスだ。
ただし、ひとつだけ問題があった。
店内に置かれている生おろしわさび。
もちろん十分に役割は果たしているのだが、鮪の繊細な脂を味わおうとすると、西洋わさび特有の直線的な辛味と香りが、私には少しだけノイズに感じられていた。
鮪はうまい。
だが、わさびが鮪の余韻を追い越してしまう。
そんな小さな違和感を抱えながら、本日何気なくサイドメニューを眺めていたところ、信じられない商品を発見した。
国産本山葵
長野県安曇野産
80円
一瞬、目を疑った。
スシローに、安曇野産の国産本山葵が存在していたのである。
すぐさま国産本山葵と、390円の大トロを注文。
運ばれてきた大トロ一貫に、本山葵を惜しげもなく全部絞り、口へ放り込んだ。
その瞬間、景色が変わった。
大トロの脂が舌の温度でほどけ、本山葵の青い香りと穏やかな辛味が鼻へ抜ける。
西洋わさびのように辛味が前へ出るのではなく、鮪の脂を切りながら、旨味の輪郭だけを鮮明に浮かび上がらせる。
鮪と山葵が喧嘩せず、互いの長所を引き上げている。
驚いた。
先週連れて行ってもらった銀座の3万円コースの鮨屋で食べた鮪と、満足感にほとんど大差がなかった。
もちろん、職人の技術、シャリの温度、熟成、包丁、空間、器まで含めれば、高級鮨には高級鮨の価値がある。
だが、鮪と本山葵を口へ入れた瞬間の快楽だけを切り取れば、470円でここまで肉薄できるとは思わなかった。
大トロ390円。
安曇野産の国産本山葵80円。
合計470円。
高級鮨は好きだが、毎回3万円を払える人間ばかりではない。
行きたくても経済的な事情で行けない人もいる。
だが、諦める必要はない。
スシローの大トロと国産本山葵が、その距離を一気に縮めてくれる。
鮪は価格だけで食うものではない。
脂をどう切り、香りをどう重ね、余韻をどう完成させるか。
たった80円の本山葵で、いつものスシローが別の店になる。
これは誇張ではない。
鮪好きには、一度でいいから試してほしい。
大トロ一貫に、安曇野産の国産本山葵を全部乗せる。
470円で開く、銀座への裏口だ。
たこぞお retweeted
スシローのうまいらしい組み合わせ試してみました
三万の大トロとか食ったことないけどスシローの大トロの脂の溶け具合は結構良かった
たしかにレベル高いと思う
わさびは苦手なので少なめにしたけど辛味が案外強くなくて美味しくいただけました
マリアージュです
@realmad_penis
このあたりの資本を追ってくと10年以上前の新宿の某居酒屋問題との接点も浮かび上がってくるのだが、ミシュランの名前で満足する客に満足する程度の味をそれなりの値段で提供しているので、ある意味の優良さはあるのかもしれない。自分は行きたくはないが…
かっかっか、甘いものを食う男は軟弱だ。
砂糖を摂るくらいなら塩を舐めろ。
スウィーツなんてものは女の食い物だ。
生まれも育ちも戸塚ヨットスクール。
レペゼン昭和のイラマチ男タコ蔵は、これまでの人生でスウィーツなど一度も必要としてこなかった。
ケーキより刺身。
パフェより塩辛。
ポムポムプリンよりバッドバツマル
そんな私が、たまたま行きずりの女と街を徘徊していた時、とんでもないドーナツ屋と正面衝突してしまった。
人ひとりが通れるかどうかの細い路地裏。
ドラ猫と肩をぶつけ、チンピラとすれ違ったら急にエア電しそうなアンダーグラウンドストリート。
そんな場所に、まるで異次元からワープしてきたような最新鋭のスウィーツショップが潜伏していた。
聞けば、つい先日オープンしたばかりらしい。
私はトリュフプレーン。
行きずりの女はホイップを注文した。
すると、この店は注文が入ってからドーナツを揚げ、熱々のまま提供するという。
どうやら世間では、生ドーナツと呼ばれる分類らしい。
生がつく食べ物なんて、生ビールと生々しい男女のハスリンくらいしか知らねえよ。
そう思いながら、揚げたてを受け取り、その場で一気にかぶりついた。
次の瞬間。
私は勝ち鬨のアンダーグランドストリートで膝をついた。
外側は薄くカリッと香ばしい。
しかし中は、驚くほど柔らかく、空気を抱え込んだようにふわふわ。
生地にはかぼちゃが練り込まれているらしく、下品な甘さではなく、自然な香りと穏やかな甘みが口腔を制圧し、そのまま鼻腔へと抜けていく。
これはドーナツではない。
揚げ物の顔をした雲だ。
行きずりの女が頼んだホイップも異常だった。
中にはクリームが遠慮も節度もなくパンパンに詰め込まれている。
一口かじれば、白い濁流が決壊寸前。
だが、重くない。
甘さもくどくない。
気づけば、甘いものを敵視していたはずの昭和の男が、女のドーナツまで横から強奪し殴り飛ばした。
初めてだった。
甘いものを食べて、敗北を認めたのは。
スウィーツ好きに勧めたいわけではない。
むしろ、甘いものなんて女子供の食い物だと吐き捨てている、こちら側のプレイヤーにこそ食べてほしい。
価値観の防波堤が、揚げたての一撃で崩壊する。
この衝撃的な甘い物体を味わいたい人は、騒がず、群れず、こっそりといいねを押してほしい。
押してくれた人にだけ、場所をそっと耳打ちする。
生ドーナツの世界に足を踏み入れるか。
昭和の意地を守り抜くか。
決めるのは、お前だ。
とんでもないクソDOPEなタコス屋をご存知だろうか?
渋谷・道玄坂上。
喧騒を数歩抜けた先に、異様な熱気を放つ一軒がある。
タコストリート。
三度の飯より酒、女、そしてタコスを愛するイラマチ男タコ蔵だが、タコ蔵のタコは蛸ではない。Tacosだ。知っている人は知っている話だ。
毎年メキシコへ渡り、市場から屋台まで食い歩き、胃袋で現地を測る。それでも日本で真っ先に名前が浮かぶのは、この店だった。
ここはカルニタス専門。
肩肉やバラだけでは終わらない。ガツ、皮、モツまで惜しげもなく刻み込み、一枚のトルティーヤへ押し込める。脂の甘みと内臓の野性味、その境界線が曖昧になるほど豪快だ。
さらに面白いのは仕上げ。
パイナップルサルサ、トマトとニンニクのサルサ、ライム、辛味。
すべて自分の手で完成させる。
客は食べ手である前に、最後の料理人になる。
そして栓を抜いたコークを一気に流し込む。
その瞬間だけ、道玄坂は国境を失う。
初めてロサンゼルスから国境を越え、パーティータウン・ティフアナへ向かった夜を思い出す。
ストリップで夜を溶かし、朝焼けの屋台で頬張ったカルニタス。
脂で汚れた指先。
溢れた肉が、エイシックスのキックスに落ちる。
寝不足の脳天を突き抜けるライムの酸味。
あの日、膝をつきそうになるほど衝撃を受けた一枚が、そのまま渋谷に転生していた。
最近はタコスブームだ。
洗練された店も増えたし、技術も確実に上がっている。
だが、ストリートは演出では作れない。
鉄板から立ち上る獣の匂い。
雑多な空気。
少し乱暴なくらいの盛り付け。
食べ終えたあとに指まで舐めたくなる背徳感。
その全部が揃って初めて、ストリートタコスになる。
この店には、それがある。
付け合わせの浅漬けを口に運んだ瞬間だけ、我に返る。
ああ、ここはメキシコじゃない。
日本だった。
そんな錯覚すら楽しませてくれる。
朝まで営業しているのも最高だ。
酒を浴びたあとでも、クラブ帰りでも、始発待ちでも、この一枚が胃袋と記憶をきっちり締めてくれる。
タコストリート。
ここは俺にとってはタコス屋じゃない。
日本に残された、最後の国境だ。
たこぞお retweeted
【閲覧注意】食事中の方は絶対にお控えください。話題沸騰中の勝ちどき楽笑の店主が豊洲市場から魚のアラ30キロ(210円相当)を盗んで逮捕された事件。本来は1キロ7円で販売している魚の餌です。
被害にあった集積所の本日の衝撃映像をお届けします。
久しぶりに心から通いたいと思える焼鳥店に出会った。
梅ヶ丘にある
やきとり shira。
淡海地鶏、天城軍鶏を中心に、一品料理でごまかさず、焼鳥そのもので勝負してくる潔さがいい。
火入れは、しっかり焼き切るスタイル。
表面は香ばしく、中には力強い旨味を閉じ込める。
この火入れが実に好みだった。
価格設定も驚くほど良心的で、この内容なら何度でも足を運びたくなる。
さらに店主はソムリエの資格を持ち、焼鳥に寄り添うワインのセレクトも見事。
料理と酒が互いを引き立て合い、時間そのものが贅沢に感じられた。
焼鳥をしっかり食べたい日に、真っ先に思い浮かぶ一軒。
迷わず定期訪問入り。
たこぞお retweeted
やきとり勝春🐓
︎
控えめに言って最高でした♪(´ε` )🍣
︎
タコ蔵師匠、ありがとうございました🙏
以前この店をポストした時、タイムラインが焼け野原みたいになった。
普段は動かない鮨屋の店主や焼鳥狂いの連中まで反応し、いいねは1万を超えた。それくらい破壊力があった一軒だ。
理由は単純。
まず素材が強い。
足摺農園から届く地鶏は、ただ鮮度が良いとか旨味が濃いとか、そんな平凡な話じゃない。噛んだ瞬間に脂と繊維の密度が暴力的に押し寄せてくる。
しかもポーションが異常だ。都内の気取った焼鳥屋なら二串に分けて出すようなサイズを、平然と拳大でぶつけてくる。
そこに横浜の名店で叩き込まれた火入れが乗る。
当日予約でも滑り込め、五千円ちょっとでひと通り着地できる。
いまの東京で、これはほぼバグだ。
最近の焼鳥界隈なんて、
半年待ちの予約困難店に群がり、
ソムリエでもないのに十数万のワインを開け、
店主の機嫌を損ねないよう空気を読み、
常連マウントを取り合う。
気付けば焼鳥を食いに行ってるのか、宗教施設へ参拝しに行ってるのか分からなくなってる店も多い。
正直、もう疲れた。
俺たちが好きだったのは、本来もっと荒っぽくて、煙臭くて、脂で口を火傷しながら無心で串を頬張るラフでタフな高架下の壁に描かれたグラフィティのようなストリートカルチャーだったはずだ。
この店には、それがまだ残ってる。
親方も媚びない。
職人気質で、不器用で、良い意味で客商売に最適化されてない。
でも焼き場に立った瞬間の空気は凄まじい。
串一本ごとに、焼鳥って本来ここまで人を黙らせる食い物だったと思い出させてくる。
たぶん数年後、
予約が取れなくなってから「あの頃は普通に入れた」と皆言い始めるタイプの店だ。
東京の焼鳥史の分岐点みたいな一軒。
知りたい人だけ、静かにいいねを。
友達や家族に対してもこの案件だけは口を紡げ。
たこぞお retweeted
こうひいはうす(札幌藻岩)
初訪問。このご時世に1000円以下のチキンスープカレー出す店あるのかと衝撃🫨
札幌クラシックと呼びたくなるようなサラサラスープに柔らかチキン。昔懐かしい感じのするやつ…
タコ蔵さんのオススメする店にハズレはないな… さて国に帰ろう…
@realmad_penis
たこぞお retweeted
龍祈(札幌すすきの)
眠らない街ススキノで深夜3時までやってる超ありがたいお店。タコ蔵先生良い店教えてくれてありがとう。この後センチュリーサウナ行きます🌞
@realmad_penis
岡山 鮨縁
岡山のタフでラフなストリートにて素晴らしい鮨屋と出会った。
暖簾をくぐった瞬間に伝わるのは、技巧や演出ではなく人の温度だ。瀬戸内海の豊かな恵みを軸に据え、親方の実直な人柄がそのまま一貫一貫に投影されている。
酢飯は赤酢主体。砂糖に頼らず米本来の甘みを引き出した設計で、輪郭の立った酸が静かに舌を引き締める。系譜で語るなら、きよ田を想起させる硬派な世界観。華美な装飾を排しながらも、魚の旨味を最大限に押し上げる酢飯だ。
つまみの完成度も高い。瀬戸内の魚介が持つ滋味を過不足なく引き出し、酒との対話を自然に生み出していく。派手な驚きではなく、職人の積み重ねによって生まれる説得力がある。
地方鮨という言葉で片付けるには少々失礼だろう。東京の激戦区に置かれても十分に存在感を放つ実力を備えている。
岡山という土地は不思議だ。港町の色気と商人の気質、そしてどこか荒々しいストリートの匂いが同居している。その街角に静かに暖簾を掲げる鮨縁は、派手に自己主張することなく格式を纏う。
本物の職人ほど大きな声で語らない。
鮨縁もまたそうだ。
瀬戸内の海と職人の哲学が握りの中で交差する、岡山が誇るべき名店のひとつである。
たこぞお retweeted
タコ蔵さんのせいで(笑)予約困難店になりそうだったので、即予約・即訪問♪(´ε` )🍣
四谷三丁目の鮨店「乙巳 (きのとみ)」
タコ蔵さんがTwitter (自称X)で紹介した直後、予約600人分が埋まったとのこと🐙
広島の魚と酒を活かした構成で素晴らしかったです👍
とんでもない鮨屋を掘り当ててしまった。
最近の鮨業界なんて、気付けば一斉に値札だけが空へ飛んでいって、気軽に暖簾をくぐれる店はどんどん減ってる。そんな中で、まるで時代を逆走するみたいな店だ。
名だたる人気店で刃を研いだ若手。
だが、ただの修行帰りの独立組じゃない。
瀬戸内の魚を、自分のルートで引っ張る。広島で武者修行した事が起因してる。
シャリは妙に媚びず、それでいてちゃんと艶っぽい。握りのテンポは軽快なのに、仕事は妙に深い。
しかも実家が鮨屋。
つまり突然変異じゃない。
幼少期から酢の匂いと魚の脂を吸って育った、生粋のナチュラルボーン鮨マンだ。
これでランチ7000円。
正直、いまの東京でこの内容は価格設定がバグってる。
さらに恐ろしいのは、まだ当日予約が取れること。
こういう店は本来、気付いた時には半年待ちになってる。
情報が拡散した瞬間に、静かに終わるタイプの店だ。
もしかすると私イラマチ男タコ蔵のポストがトリガーとなり予約が取れなくなるかもしれない、正直ここ三日その悪夢で寝れなかった。
でも、やはり伝えている。
ちゃんと旨くて、ちゃんと気持ちよくて、ちゃんとまた来たくなる。
鮨って、本来こういう幸福だったよなと思い出させてくれる店。
まさにこの店はストリートに咲いた薔薇。
店名を知りたい人は、静かにそっと、周りに誰もいない事を条件にいいねを押してください。















































