気になる事やら乗り物系の話、何となくつぶやきます、青森出身の北の街住まい。

Joined February 2010
棒高跳びしちゃったからねえ 推進軸外れて 壊れたエンジン直すにもいちいち本国から許可もらわんと勝手に直せなかったとか。
【わずか12年で全車引退】国鉄DD54形、期待の新鋭機はなぜ消えたのか 国鉄のディーゼル機関車といえば、やはりDD51でしょうか。 全国各地で客車や貨車を牽き、半世紀以上にわたって活躍した名機です。 ところが、このDD51とほぼ同じ時代に登場しながら、わずか12年で姿を消してしまった機関車がありました。 それが今回ご紹介するDD54形です。 どことなく欧州の機関車を思わせる、角張った箱形車体。DD51とは似ても似つかない姿ですが、それもそのはず。 DD54は当時の西ドイツの技術を取り入れて開発された、 国鉄としてもかなり意欲的な機関車だったのです。 しかし、 その生涯は決して順風満帆なものではありませんでした。 「 国鉄が選んだ、もうひとつの答え」 1960年代、国鉄では蒸気機関車をディーゼル機関車に置き換える「無煙化」が急ピッチで進められていました。 その主役となったのがDD51です。約1,100馬力のエンジンを2基搭載する方式で、幹線から地方路線まで幅広く活躍しました。 一方、欧州では少し違った考え方がありました。 大きなエンジンを1基積めば、わざわざ2基も搭載する必要はないのでは?というものです。 確かに、エンジンが1基なら構造も簡潔になり、整備する箇所も減らせそうです。 そこで国鉄が目をつけたのが、三菱重工業が西ドイツの技術を導入して製造した試作機DD91でした。山陰本線での試験結果も良好だったことから、これを基にDD54が誕生します。 1966年に登場したDD54は、最高出力1,820馬力の大出力エンジンを1基搭載。動力を車輪に伝える液体変速機も西ドイツ由来の技術を採用しています。 当時としては、なかなか魅力的な機関車だったわけです。 「ところが、思わぬ落とし穴が…」 DD54は山陰本線や福知山線などに投入され、 蒸気機関車の置き換えに活躍しました。 しかし、登場から間もなく厄介な問題が発生します。 エンジンの動力を車輪に伝える「推進軸」が破損する事故が相次いだのです。 1968年には、急行「おき」を牽引していたDD54が山陰本線で脱線転覆する事故まで発生。翌年にも同様の事故が起き、安全面で大きな問題となりました。 もちろん国鉄も手をこまねいていたわけではありません。 推進軸の強化など、さまざまな対策を進めました。 ところが、DD54の苦難はこれで終わりませんでした。 今度はエンジンや液体変速機の不具合が問題になってきたのです。 なかでも厄介だったのが液体変速機。 西ドイツの技術を取り入れた特殊な構造ゆえに、故障しても簡単には直せません。部品の調達や技術的な対応にも難しさがあり、国鉄の検修現場は相当苦労したようです。 そもそもエンジンを1基にまとめたのは、 整備を合理化するためでもあったはず。 それなのに、いざ故障すると直すのが難しい。 何とも皮肉な話です。 「それでも特急「出雲」を牽いた」 こうした話だけを聞くと、まともに走れなかった機関車のように思えてしまいますが、実際にはそうではありません。 DD54は寝台特急「出雲」の牽引にも充当され、山陰地方の非電化路線で活躍していました。 あの独特なスタイルでブルートレインの先頭に立つ姿は、 今見てもなかなか格好いいものです。 ただ、故障が多く、整備にも手間がかかるとなれば、鉄道会社としては頭の痛いところ。 しかも国鉄には、 すでにDD51という実績十分の機関車がありました。 DD51にも登場当初は苦労がありましたが、量産を重ねるなかで改良が進み、整備のノウハウも蓄積されていました。 対するDD54は40両止まり。 同じ仕事を任せるのであれば、安定して走り、修理もしやすいDD51に軍配が上がるのは、ある意味自然な流れだったのでしょう。 ■「あまりにも早かった引退」 DD54の製造は1971年で終了。 1966年の登場からわずか5年間で、40両が造られました。 そして1978年には全車が運用から引退。 最後に製造されたグループなどは、まだ車齢が一桁という異例の短命ぶりでした。 ちなみに、 DD54のうち現在まで残っているのは33号機ただ1両。 京都鉄道博物館のプロムナードで、その姿を見ることができます。 ここまで読むと、DD54は単なる失敗作だったのでしょうか。 確かに、国鉄が期待したほどの成果を残せなかったのは事実でしょう。ただ、当時の日本はディーゼル機関車の技術を発展させている真っ最中。国産技術だけでなく、海外の優れた技術も積極的に取り入れようとしていた時代でした。 DD54も、そんな試行錯誤のなかから生まれた機関車だったのだと思います。 長く活躍したDD51とは対照的な生涯を送ったDD54。 もし故障の問題を克服できていたら、山陰地方の鉄道風景も少し違ったものになっていたかもしれませんね。 (マイミー)
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せんべい汁 南部の食い物だろ
47都道府県 ソウルフード
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就航75周年おめでとうございます。 #JAL羽田新千歳75周年
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苫小牧港史(1982)より 苫小牧暫定旧フェリーターミナルを空から 現在のフェリーターミナルの場所は当然まだ整備されてません、貴重な資料だと思います 撮影時期1973年
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苫小牧港東4号ふ頭にあった旧暫定苫小牧フェリーターミナルの外観と場所
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現苫小牧フェリーターミナルが完成する前に設置した暫定FTでの日本沿海フェリー「しれとこ丸」の荷役画像 場所は現在の東4号ふ頭(太平洋セメントの付近) 撮影時期1972年頃
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道南バスの方向幕「非営業」が懐かしいわ。
昭和51年(1976) 道南バス車両 床板が木製だったりした時代。 景気が良かった頃に室蘭を走り回ってた時代の車両。 #昭和レトロ #北海道
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汚ぇ字w 昭和の小学生の悪戯ハガキだな 出した奴狙ってわざとこんなん出してんのかね ハガキ代もったいねえわ。
久々に一人で腹抱えて笑った なんかさ悪い気しないんだよな…
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夜のはやぶさⅢ 青森FTにて2026年9月23日撮影
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9月下旬に青森市久栗坂から撮影した津軽海峡フェリー函館行17便「ブルーハピネス」 撮影した方角は青森市奥内の辺りですが、はっきりと北海道新幹線の高架も写ってますね、600㎜買ったらまた再度撮影してみたい場所です。
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2代目ゆにこん 4基のウォータジェット推進機
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青函フェリー3代目はやぶさ進水式 元画像撮影時1995年2月10日
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南区の駒岡まで持って来て燃やしたり苫小牧等に分散して処理してるらしいねこの地域のゴミは。
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盛岡の高速事故、函館の会社か。
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快傑ズボット retweeted
青函連絡船 羊蹄丸 1985年青森港 1988年函館山 青函連絡船は数えきれないほど乗船しましたが一番多かったのは羊蹄丸だと思います。ブリッジにも何度か見学に行きました。小豆色の船体が印象的です。#船の模型と写真 #青函連絡船 #羊蹄丸
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平和駅から新札幌の警察横まで歩いてみようとここまで来たが疲れたわ(汗)やはり普段から歩かないと体力無いな。
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