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教室で使っている計算のタイムアタックを、どなたでも使えるように公開しました。
1年生のたし算・ひき算から、九九、わり算、四則混合まで。
登録なし、名前の入力もなし、無料です。授業のはじめの数分にどうぞ。
リンクは最初のリプライに置いています。
前田健太|算数好きな先生 retweeted
例えば学年集会の整列中、並ぶこと全無視して気に入らない友達に殴りかかりに行く奴がいたとする。でかい声出してても止めるでしょ。
この対処に対して「怒鳴るなんてあり得ない」みたいなありがたい指導をしてくださる同僚や管理職がいたとしたら、聞くは聞くけど無視しちゃうかなぁ…僕だったらね。
前田健太|算数好きな先生 retweeted
「子育て」の流行を聞くけど、そもそも子育てに大切なことは今も昔もかわらないのではないか。よいことはよい、悪いことは悪いと教える。それをどう教えるかには多少の流行はあるかもしれない。でも、悪いことでもよしとする、悪いのに悪いと自覚させない「子育て」は、流行でも何でも間違いと思う。
前田健太|算数好きな先生 retweeted
授業では、分からない子を分かるように、できない子をできるようにという視点が重視される。しかし、授業は分からない子やできな子だけのものではない。分かる子やできる子のものでもあるのだ。だから、分かる子やできる子が更に考えを広げたり理解を深めたりできる課題設定と授業展開が重要なのだ。
【算数ネタ567】17頭のラクダ
商人が、17頭のラクダを3人の息子にのこしました。
「長男に2分の1、次男に3分の1、三男に9分の1をあげなさい」
ラクダを1頭も切らずに、3人が納得するように分けるには、どうする?
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規則は規則だから守ると教えるだけでは心は育たない。規則を守ることで、その奥にいる人たちを大切にすることができる。守らないことで、権利や存在を脅かされる人がいる。規則の奥にいる人に想像力を働かせられる。そんな教育がしたい。
前田健太|算数好きな先生 retweeted
すべての人の自由を保障することなどできない。盗む自由があるから盗む。殴る自由があるから殴る。自由ではなく自分勝手。誰もが安心して生活する自由を守るためには規制が要る。学級にも規制という名の枠があるから、自由が成立するのだ。枠の全くないところに自由は存在できない。
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片付けが苦手な子に
「きちんと片付けなさい」
と言っただけでは片付けれるようにはならない。一度片付け方を教えただけでもならない。片付けられる工夫を施し、根気よく一緒に教えていく。1年生指導は、そういう見えない地味で地道な指導の連続。
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学校では説明責任が重視される。しかし、説明できることばかりを実践するようになると教育は痩せていく。数値で示せる成果、手順を明文化できる指導、誰にでも説明できる活動。教育には状況に応じた即興的な判断も必要だ。説明責任を果たすことと、説明しやすい教育だけをすることは違う。
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学校で最も厄介なのは仕事をしない教師より仕事を増やす教師かもしれない。新しい企画を立て、資料をつくり、会議を開く。本人は熱心で、周囲も反対しにくい。しかし、その企画のために何人が何時間働くのかは考えない。自分の熱意に他人の時間を使うことへの鈍感さは組織にとって大きな害悪である。
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私の小学校は、公立の小学校。
1クラス42人学級。支援級がない時代なので特性のある子もいたし、学力差もあったと思う。でも、みんな目をキラキラさせて意欲的に学んでいた。誰ひとり取り残さないための授業だったと思う。
久しぶりに先生にお会いしたくなった。
前田健太|算数好きな先生 retweeted
私が受けていたALと今のALの姿が違い過ぎて受け入れられないというのが、本当の気持ち。
先生のALならば、人の発言に重ねて発言してはいけないというルールが徹底していたから娘も問題なく受けられる。
前田健太|算数好きな先生 retweeted
アクティブラーニング、実は私は平成初期の一斉授業しかない時代にゴリゴリのAL授業を受けていた。というのも、当時の担任がALの考え方を当時から授業実践に取り入れていて、毎月のように全国から教員が授業見学に来ていた。先生は著書もたくさんあり定年退職後も大学で研究を続けられている(らしい)













