Pinned Tweet
Visaが止める。
SNSが消す。
AIが答えを変える。
クラウドが締め出す。
別々の問題に見える。
だが、そこで問われているのは同じである。
誰がルールを決めているのか。
クレジットカードの決済停止、金融制裁、SNS規制、AI、クラウド、アルゴリズム。
国家と巨大企業が、インフラを通じて「何を買えるか」「何を見られるか」「何を信じるか」を決める時代になった。
VisaやMastercardをJCBに替えれば終わる話でもない。
海外サービスを国産に替えれば終わる話でもない。
では、誰がどこで決めているのか。
国家はどこまで介入できるのか。
民間企業の判断は、いつ「統治」になるのか。
世界の当事者を取材し、決済、FATF、SWIFT、SNS、AI、クラウド、米欧中露、そして日本まで追った。
『「デジタル主権」戦争――国家と巨大企業が奪い合う「見えない支配」の全貌』
扶桑社新書・発売中
amzn.asia/d/08JTGYvl
お読みいただきありがとうございます。
その上で、本書でも書いたことですが、引用元のような議論は退けていく必要があるでしょう。
問題は、誰かが日本の表現を嫌っているという単純な話ではありません。国家間の権力関係、国際的な制度設計、巨大企業のリスク管理が複雑に絡み合っているのです。
これらを「フェミニストが日本の表現を攻撃している」という物語に回収してしまうのは、問題の本質を見失う議論です。
この問題をめぐっては、わかりやすい敵を設定することで安心したい、満足したい、インプレッションを稼ぎたい、選挙に出たいなど、さまざまな欲望が交錯しています。
実際、本でも書いたとおり国連サイバー犯罪条約は、事実に基づかない主張が現実のものとして受け止められた事例です。
SNSのアルゴリズムが見たいものだけを見せようと挙動することも相まって、肝心の問題の本質がますます見えにくくなっている。それが現状ではないでしょうか。
そもそも「一神教=唯一の正義」「日本の宗教=絶対的な正義を持たない」という二分法自体、日本宗教史への理解が欠けているのではありませんか?
鎌倉仏教だけでも、法然は専修念仏を説いて他の修行を退け、日蓮は『立正安国論』で正法と邪法を峻別し、誤った教えが国家に災厄をもたらすと主張しています。
神道も同様です。
伊勢神道は従来の本地垂迹説に対抗して神の根源性を説き、吉田神道は神道こそが根本であるという独自の体系を構築しました。垂加神道は朱子学と神道を結びつけて君臣の道を説き、復古神道は仏教・儒教の影響を排して古代日本の神々の道を探究しました。
それぞれが何を正しい教えとするかを論じ、ときには他の教説を厳しく批判してきたのです。
日本の宗教史とは、異なる真理を主張する人々が、習合し、論争し、ときには武力で争ってきた歴史でもあります。
「日本には絶対的な正義という考え方がない」などというのは、一体どこの日本宗教史を読んだ結論なのでしょうか。
「日本の宗教には絶対的な正しさがない」というのも、結局は『日本の宗教とはこういうものだ』という、ご自身の絶対的な思い込みではありませんか?
その上で、現代の「文化侵略」を論じるなら、むしろSNSや動画配信サイトを通じた文化的影響力の行使を考えるべきでしょう。
問題は、外国のアニメを見た若者が日本文化に親しむこと自体ではありません。
巨大プラットフォーム企業が、推薦アルゴリズムによって人々の情報接触を左右し、何を見せ、何を見せず、何に関心を持たせるかを決定する力を握っていることです。
しかも、こうした仕組みは、利用者の注意や滞在時間を収益に変えるビジネスモデルと結びついています。
文化の受容と、情報流通の支配による認識への介入は、まったく別の問題です。
「文化侵略」を本気で論じるなら、宗教の一神教・多神教という単純な二分法より、まず現代のデジタルプラットフォームが持つ構造的な権力を検証する必要があるのではありませんか。
海外生活経験もあり、かつ寺の娘としてハッキリ言いますが…日本のアニメは「侵略するつもりがない侵略者」です。
このアルジェリアの方の危機的な直感は非常に正しい。
一神教の社会は「正しさは一つ」という軸の上に、信仰も倫理も共同体も組み立てられています。
その社会の若者が、十代のうちに「絶対的な正義はない」という日本的な、神道や仏教をベースとした物語を何千時間も浴びたらどうなるか?
一本は面白い物語でも、積み重なれば宗教教育の土台を静かに裏返す行為になります。
「敵にも事情がある」という日本の空気は、仏教と神道の土壌で育った日本人が吸う分には、当然無害です。
でも、別の土壌に流れ込んだら話は変わり、洗脳教育となってしまいます。
ありがとうございます。
まさに本書で書きたかったのは、その「構造」の問題です。
SNSの表現規制をめぐっては、何を削除するべきか、何を自由に発信できるべきかという議論になりがちです。
しかし、その前に、そもそも何を見せ、何を見せず、どんな情報に接触させ、どのような行動へ誘導する仕組みになっているのか。
そこを問わなければ、自由や規制についての議論も、肝心なところを見落としてしまうと思うのです。
昼間たかし『[デジタル主権]戦争』読了
SNS上の表現規制やアルゴリズムによる誘導、サービスの囲い込みなどが起きる構造について網羅的に論じられている
〇〇が悪い〇〇潰すべしという分かりやすい「おはなし」ではなく、その上位の「構造」こそを問題とする視点が良かった
teapaw.org/y_ryukichi/status/2103…
まさに、そこが難しいところです。
PCやスマホを使わない生活に戻ればいい、という話ではありません。現代社会では、仕事も行政手続きも人間関係も、デジタル技術を前提に組み立てられています。
問題は、便利な道具を使っているつもりが、いつの間にか道具の側に生活や行動を決められていないか、ということです。
だからこそ、使うか使わないかではなく、誰がその仕組みを設計し、誰が最終的に決定するのかを考える必要があるのだと思います。
ありがとうございます!
しかし、こうして二冊並ぶと、日曜日はいったい何の話をするつもりなのか、ますますわからなくなってきます(笑)。
白井さんと私が、果たして予定通りのテーマで話を終えられるのか。
ぜひ現場でお確かめください!
今週日曜日、11月8日は歌舞伎町BARミズサーで白井聡さんと対談します。
『「デジタル主権」戦争』と『日本の私』。一見すると別々のテーマですが、国家、個人、自由、そして「自分で考える」とはどういうことなのか。
さて、どこまで話が脱線するのか。私にもわかりません(笑)。
ぜひお越しください!
【11/8開催】昼間たかし×白井聡「W刊行記念対談」 歌舞伎町BARミズサーにて nikkan-spa.jp/2193729
このDSAって第二半インターの再来という理解でよいのでしょうか?
アメリカ中間選挙で民主党が上下両院を奪還。「トランプにノー!」「多様性の勝利!」「民主主義の希望!」と大騒ぎである。
しかし、別にアメリカが世界支配をやめるわけではない。
初の黒人大統領として世界中から歓迎されたオバマの時代を思い出せばよい。ドローン攻撃もリビアへの軍事介入もなくならなかった。アメリカ国内で多様性が進んだからといって、対外政策まで反帝国主義になるわけではないのだ。
もちろん、アメリカにも反帝国主義を掲げる民主社会主義者協会(DSA)のような勢力は存在する。海外基地の閉鎖を要求し、NATOからの脱退を掲げたこともある。
しかし、民主党の中に社会主義者が何人か増えたところで、アメリカの軍事・金融・外交上の覇権構造が解体されるわけではない。
アメリカ国内でマイノリティの政治参加が進んだことと、アメリカが世界に対して公正に振る舞うことは、何の必然的な関係もない。
アメリカ国民は自国の政治家を選挙で審判できる。しかし、アメリカの軍事介入や経済制裁によって人生を左右される外国の人々には、その選挙権すらない。
アメリカ国内の民主主義がどれほど立派になろうと、それだけで世界が自由になるわけではない。
こんなものは茶番である。
米中間選挙、民主党が上下両院で多数派奪還へ トランプ共和党は敗北
nikkei.com/article/DGXZQOCB0…
巷で話題の「日本中学生新聞」というのをよく知らなかったので『こちら日本中学生新聞』(柏書房)を読んでみたのだが……唖然。
大阪都構想については、財源が4分の1になるから住民サービスが低下すると説明し、最後はなぜか「独裁政治にならないためにも熟議が大切」という話になる。制度の仕組みや異論を検証する以前に、どこかで聞いた政治的な言葉が並んでいるだけではないか。
しかし、著者である少年を責めるつもりはない。
本来、子供が政治に関心を持ったのなら、歴史を学び、制度を調べ、異なる立場の意見を読み、事実と主張を区別することを教える。それが年長者の役割のはずだ。
ところが、この本から見えてくるのは、子供の政治参加に自分たちの理想を投影し、「民主主義の希望」としてヨイショする大人たちの姿である。
子供が政治に関心を持ったことを褒めるのは結構。しかし、その子供の書いたものを一冊の本として世に出すなら、編集者にも推薦者にも相応の責任があるだろう。
子供を一人の知的な主体として扱うなら、間違いは指摘し、理解の浅いところは問い直し、もっと学ぶように促すべきだ。
それをせず、自分たちの政治的な願望を代弁してくれる子供として持ち上げる。
これは教育でもジャーナリズムでもない。子供を使った民主主義ごっこである。
本当に酷いのは、少年の未熟さではない。未熟な少年を「民主主義の希望」として消費し、育てる責任を放棄している大人たちの知的怠慢だ。
これが民主主義の希望だというのだから、民主主義もずいぶん安くなったものである。
SNSで救われた。
それはまやかしにすぎません。
ここで考えなければならないのは、なぜ子供たちの救済の場が、巨大テック企業の運営するプラットフォームになっているのか、ということです。
SNSの本当の危険は、単なる誹謗中傷や犯罪被害だけではありません。
推薦アルゴリズムや依存を促す設計によって、人間の注意と認知を収奪し、何を見て、何を信じ、何を正常だと感じるかという、文化や道徳、価値観の形成にまで企業が介入できることです。
つまり、16歳未満のSNS規制など、問題の入り口にすぎません。
孤立した子供がSNSに救いを求める。しかし、その救いの場そのものが、利用者をできるだけ長く引き留め、行動を誘導するよう設計されている。
これは「危険性を教えて、自分で判断できるようにする」という教育だけで解決できる問題ではありません。
逃げ場を与えてくれた相手が、必ずしも自分の利益を守ってくれるとは限らないのです。
問われているのは、子供たちの認知や価値観を形成する力を、誰に委ねるのかということです。
この問題を拙著『「デジタル主権」戦争』で論じています。
amzn.asia/d/0c59VWlq
それは、規制の目的や方法についての認識が、少し更新されていないのではないでしょうか。
現在、世界各国で進んでいるSNS規制は、単に16歳未満の利用を禁止すれば解決するという話ではありません。
SNSへの依存を促す設計、推薦アルゴリズムによる情報流通への影響、未成年者の安全を守るための企業の責任など、問題の捉え方そのものが変わっています。
もちろん、規制によって利用者が地下化する危険性も検討すべきですが、それだけで規制の必要性が否定されるわけではありません。
なぜ世界各国がこうした規制に乗り出しているのか。
その背景と制度の違いについて、拙著『「デジタル主権」戦争』で詳しく解説しています。
amzn.asia/d/0c59VWlq
理解できないのであれば、このテーマに関わるべきではありません。
そもそも、現在、世界各国でSNS規制が進められている背景には何があるのか。なぜ国家が巨大プラットフォーム企業への規制を強めているのか。
この問題を国際的な制度・政策の動向から体系的に論じた日本語の本は、私の知る限り、拙著『「デジタル主権」戦争』以外にありません。
宣伝だと片づける前に、まず議論の前提を理解していただきたいものです。
これは……
幸福とは、神との永遠の一致なのか?それとも執着と迷いからの解放なのか?
をめぐるバトルか……。おそらく「幸福」の定義だけで、数年シリーズ化。 多分違うw
かつて宣教師ザビエルが、仏教僧と激論を交わした山口の地で、再び公開対談が実現。北鎌倉・円覚寺の管長、横田南嶺老師と山口サビエル記念聖堂主任司祭、片柳弘史神父が熱く語りあいます。12月19日(土)10:00~。要予約。参加無料。ぜひご参加ください😇
◆予約⇒ forms.gle/nD4Roq5gi1E6Fz2e9
有意差がないことは、効果がないことの証明ではありません。
そもそも、現在のSNS規制問題について議論するには、少なくとも以下の知識が必要です。
① プラットフォームの技術的構造
推薦アルゴリズム、無限スクロール、自動再生、通知などが、利用者の行動をどのように誘導しているのか。SNSは単なる通信手段ではありません。
② 認知科学・行動心理学
報酬系、習慣形成、依存を促す設計、注意力への影響。とりわけ発達途上の子供に対して、どのようなリスクがあり、何が実証され、何が未解明なのか。
③ 巨大プラットフォームの経済構造
広告収益、行動データの収集、ネットワーク効果、市場支配力。なぜ企業には利用時間を延ばす経済的動機があり、利用者は簡単にサービスを離れられないのか。
④ 各国の規制法制
オーストラリアの16歳未満のアカウント規制、イギリスのオンライン安全法、EUのデジタルサービス法。何を規制し、誰に義務を課し、どのような制裁を設けているのか。それぞれ制度の目的も仕組みも異なります。
⑤ 規制の執行と企業責任
プラットフォームは法律にどう対応しているのか。年齢確認を回避する利用者がいた場合、誰の責任なのか。企業による自主規制はなぜ問題視され、国家による監督やリスク評価義務が必要とされてきたのか。
⑥ 年齢確認技術と個人情報保護
自己申告、顔による年齢推定、身分証明書、生体認証、第三者による年齢確認。技術的な実現可能性と精度、個人情報の収集・保存・流用のリスクをどう評価するのか。
⑦ 表現の自由と子供の権利
未成年者の保護と、情報へのアクセス、社会参加、プライバシー、表現の自由をどう両立させるのか。規制による排除や孤立、別のサービスへの移行といった副作用をどう扱うのか。
⑧ 国家と巨大企業の権力関係
アメリカの巨大テック企業が国境を越えて情報環境を支配する現状で、各国政府はどのような権限を行使できるのか。規制権限を企業に委ねること自体に、どのような問題があるのか。
⑨ デジタル主権
最終的に、人間の認知、情報流通、個人情報を誰が管理するのか。国家が管理すれば解決するのか。それとも国家による過剰な統制という新たな危険が生じるのか。
これらは独立した問題ではなく、相互に結びついています。
したがって、「年齢を偽れば使えるから規制は無意味」「結局は親の教育次第」といった議論だけでは、現在、世界で何が争われているのかを理解したことにはなりません。
率直に申し上げて、あなたはこの問題を議論するための基本的な知識が不足していませんか。
私はこうした問題を、国家と巨大企業の権力争いという視点から、拙著『「デジタル主権」戦争』で論じました。
各国の法令、規制当局の資料、研究論文など、議論の出発点となる一次資料は脚注に収録しています。
まずは脚注をたどり、現在の世界で何が起きているのかを把握してから、改めて議論しましょう。
12~13歳の毎日のSNS利用率に大きな変化がなかったことは承知しています。
だからこそ、論文の「考察」をちゃんと読んでください。
著者らは、SNSが利用を促進・強化するように設計されているため、青少年には規制を回避してでも利用を続ける動機が生じると考察しています。
そして、有害なSNS利用を生む、より広範な要因への介入が必要だと述べています。
「規制を回避する子供がいる。だから規制は無意味で、親の教育次第」というのは、著者らの考察ではありません。





















